おわりに

映画(えいが)製作(せいさく)した人々にとって、広島、長崎(ながさき)への関わりは、1946年(昭和21年)に映画(えいが)が完成した時点で終わりではなかった。製作(せいさく)プロデューサーの加納竜一氏は、接収(せっしゅう)された映画(えいが)再現(さいげん)を目指し、当時の映画製作(えいがせいさく)に関わる資料(しりょう)をたどる。相原秀二氏は、映画(えいが)撮影(さつえい)することができなかった被爆(ひばく)直後の様子を知るため、原爆被災(げんばくひさい)写真(しゃしん)に関心を()せ、調査(ちょうさ)・研究に取り組んだ。(かれ)らの行動を(ささ)えたのは、核兵器(かくへいき)が二度と使用されないために、広島、長崎(ながさき)であったことを知ってほしい、後世に被爆(ひばく)惨状(さんじょう)を伝えたいという強い思いだった。
 米国から映画(えいが)返還(へんかん)された1967年(昭和42年)当時、核保有国(かくほゆうこく)拡大(かくだい)し、核実験(かくじっけん)が相次いでいた。そして、今もなお、世界中には多くの核兵器(かくへいき)存在(そんざい)し、使用される危険性(きけんせい)さえある。
 原爆被災(げんばくひさい)記録映画(きろくえいが)は、原爆(げんばく)悲惨(ひさん)さを(うった)える重要な役割(やくわり)(にな)っている。映像(えいぞう)に残された事実やそれを記録し、(うった)え続けて来た人たちの努力を知ることは、(わたし)たちが、被爆(ひばく)の実相を伝え、核兵器廃絶(かくへいきはいぜつ)を目指す出発点となる。

■図版一覧
1.11.16.20.21.27.31~33.48.寄贈/埼玉県平和資料館「相原秀二資料」より 2.提供/日映アーカイブ 3.所蔵/広島市公文書館 4.5.14.49.53.寄贈/加納信雄氏・加納宗子氏 6.撮影/岸田貢宜氏 提供/岸田哲平氏 7.9.撮影/山上圓太郎氏 提供/毎日新聞社 8.寄贈/新妻清一氏 10.39~42.撮影/菊池俊吉氏 12寄贈/菅謙一氏 13.19.26.撮影/林重男氏 15.44.45.撮影/日本映画社 34~38.撮影/三木茂氏 17.18.22.25.撮影/日本映画社(鈴木喜代治氏) 23.24.撮影/日本映画社(俣野公男氏) 28.29.所蔵/東京国立近代美術館フィルムセンター 30.46.47.提供/小畑克氏 43.撮影/日本映画社(山中眞男氏) 50.55.提供/毎日新聞社 51.出典/「日比谷公会堂 写真で見る70年の歩み」東京都日比谷公会堂 52.提供/米国議会図書館 54.出典/「幻の原爆映画を撮った男」宇野真佐男 共栄書房 56.所蔵/小畑克氏 57~59.提供/中国新聞社
上記の写真提供者をはじめ、金子貴代栄、酒井文三、菊地文代、城所敏雄、林建郎、三木、三木三和子、関口敏雄、木村宥子、佐々木忠孝、智谷秋宣、菊池徳子、小沼ますみ、中根良平、朝日新聞社、呉市海事歴史科学館、株式会社中国放送、月刊「マスコミ市民」編集部、株式会社JTBパブリッシング、広島市中央図書館、日本製鋼所広島製作所、新人物往来社、長崎原爆資料館、長崎市立桜町小学校、広島市医師会、NHK広島放送局、平和博物館を創る会、米国国立公文書館(敬称略、順不同)ほか多くの々、機関のご協力をいただきました。