日本映画社(えいがしゃ)によって撮影(さつえい)された映像(えいぞう)は、すべて米国へ送られた。しかし、製作(せいさく)スタッフによって未編集(みへんしゅう)フィルムが密(ひそ)かに保管(ほかん)されていた。現在(げんざい)、そのフィルムは日本映画社(えいがしゃ)の後身である日映(あきら)アーカイブに保管(ほかん)されている。その映像(えいぞう) の一部を 紹介(しょうかい)する。
日本映画新社(にほんえいがしんしゃ)(旧日本映画社(きゅうにほんえいがしゃ))が使用していたフランスのアンドレ・デブリー社製(しゃせい)の撮影機(さつえいき)。1927年(昭和2年)に登場したモデル。重量は、11.5kg、三脚(さんきゃく)で固定して使用された。製作(せいさく)スタッフは「リヤカーに乗せて運んだ」と証言(しょうげん)している。原爆被災(げんばくひさい)記録映画(きろくえいが)の撮影記録報告(さつえいきろくほうこく)に使用が記されている
日本映画新社(にほんえいがしんしゃ)(旧日本映画社(きゅうにほんえいがしゃ))が使用していた米国のベル&ハウエル社製(しゃせい)の撮影機(さつえいき)。1934年(昭和9年)以降(いこう)に発表されたモデル。重量は5.6kg、レンズを3つ備(そな)えている。三脚(さんきゃく)で固定して使用された。原爆被災(げんばくひさい)記録映画(きろくえいが)の撮影記録報告(さつえいきろくほうこく)に、撮影機材(さつえいきざい)としてアイモが記されている。