廃虚(はいきょ)の街に入る

原爆被災(げんばくひさい)記録映画(きろくえいが)
「広島・長崎(ながさき)における原子爆弾(げんしばくだん)影響(えいきょう)」より

 日本映画社(えいがしゃ)によって撮影(さつえい)された映像(えいぞう)は、すべて米国へ送られた。しかし、製作(せいさく)スタッフによって未編集(みへんしゅう)フィルムが(ひそ)かに保管(ほかん)されていた。現在(げんざい)、そのフィルムは日本映画社(えいがしゃ)の後身である日(あきら)アーカイブに保管(ほかん)されている。その映像(えいぞう) の一部を 紹介(しょうかい)する。

企画展の会場では「広島・長崎における原子爆弾の影響」をすべて動画でご覧いただけます。
Webでは、そのうちの一部を動画でご覧いただけます。下の画像ボタンをクリックしてください。
・熱線の影響(2分40秒) ・爆風の影響(5分30秒) ・放射線の測定(1分28秒) ・病院・救護所のようす(4分30秒)

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パルボL型(撮影機(さつえいき)

パルボL型(撮影機)日本映画新社(にほんえいがしんしゃ)旧日本映画社(きゅうにほんえいがしゃ))が使用していたフランスのアンドレ・デブリー社製(しゃせい)撮影機(さつえいき)。1927年(昭和2年)に登場したモデル。重量は、11.5kg、三脚(さんきゃく)で固定して使用された。製作(せいさく)スタッフは「リヤカーに乗せて運んだ」と証言(しょうげん)している。原爆被災(げんばくひさい)記録映画(きろくえいが)撮影記録報告(さつえいきろくほうこく)に使用が記されている

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アイモ(撮影機(さつえいき)

アイモ(撮影機)日本映画新社(にほんえいがしんしゃ)(旧日本映画社(きゅうにほんえいがしゃ))が使用していた米国のベル&ハウエル社製(しゃせい)撮影機(さつえいき)。1934年(昭和9年)以降(いこう)に発表されたモデル。重量は5.6kg、レンズを3つ(そな)えている。三脚(さんきゃく)で固定して使用された。原爆被災(げんばくひさい)記録映画(きろくえいが)撮影記録報告(さつえいきろくほうこく)に、撮影機材(さつえいきざい)としてアイモが記されている。