廃虚(はいきょ)の街に入る

復興(ふっこう)息吹(いぶき)

戦争が終わっても人々に住居(じゅうきょ)はなく、食糧(しょくりょう)・衣類などの物資(ぶっし)は不足し、生活は困難(こんなん)を極めた。さらに原爆(げんばく)による影響(えいきょう)が健康をむしばむ。しかし、(きび)しい環境(かんきょう)であっても、人々は少しずつ再建(さいけん)の道を歩み始めていた。映画(えいが)の最後には、人々が廃虚(はいきょ)から立ち上がる様子が記録されている。


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秋祭りの活気

1945年(昭和20年)10月19日
己斐地区(こいちく)五穀豊穣(ごこくほうじょう)感謝(かんしゃ)して行われる秋祭りの様子。(たわら)にもみ(から)をつめた「(たわら)もみ」を地元の人たちがかつぐ。この祭りにあわせ、中国復興財団(ちゅうごくふっこうざいだん)復興祭(ふっこうさい)企画(きかく)した。