廃虚の街に入る
生物班の撮影
生物班は、撮影隊の中で最も早く9月21日に広島入りし、10月3日まで撮影を行った。この班には理化学研究所研究員の中山弘美氏が同行。原子爆弾の放射線が植物にどのような影響を与えるかを調査した。
[17] |
[17]
熱線を受けたヒイラギの葉
1945年(昭和20年)10月2日皆実町三丁目 広島高等学校爆心地から2,690m
別の葉が熱線をさえぎった部分は、焼けるのを免れ、葉のふちの影が下の葉に残っている。 |
[18] 護国神社付近での植物調査
1945年(昭和20年)9月28日 基町
爆心地から約250m
中山氏の調査の様子を映像に収めたもの。中山氏は、爆心地付近などを歩き、ヒマとエビスグサに異常が見られることを発見した。 |
[19] 地中の生物の調査
1945年(昭和20年)10月 細工町
爆心地付近のミミズを採取している様子。特に異常は見つからなかった。しかし、学術調査団の調査では、鳥やウサギなどが出血、脱毛して死んだ例を確認している。
|
[20] |
[20]
原爆被害調査日誌
中山弘美氏の日誌。広島には9月21日から30日まで滞在する。調査内容と撮影の様子が、図も使用しながら克明に記されている。 |
|
|
|
|
[21]
映画の撮影場面のスケッチ(複製)
生物班のスタッフとして広島へ入った鈴木喜代治氏が描いたスケッチ。映画の場面が描かれ、簡単な説明も記されている。 |