おわりに

 今回の企画(きかく)(てん)紹介(しょうかい)した1945年(昭和20年)の写真には、被爆(ひばく)後の広島の姿(すがた)克明(こくめい)撮影(さつえい)されています。市街地(しがいち)救護(きゅうご)所に横たわる死者や負傷(ふしょう)者、捜索(そうさく)救援(きゅうえん)救護(きゅうご)活動を行う人々、被害(ひがい)調査(ちょうさ)するために(おとず)れた人たち。(まち)や生活を再建(さいけん)しようとする姿(すがた)や、死者を(いた)み、(とむら)(いとな)みもありました。
 原爆(げんばく)投下から1945年(昭和20年)(まつ)までの広島を撮影(さつえい)した人は50人以上(いじょう)いました。撮影(さつえい)の場所や時間もさまざまです。(わたし)たちが被爆(ひばく)後の広島の姿(すがた)を見ることができるのは、(かれ)らが撮影(さつえい)し、記録(きろく)(のこ)努力(どりょく)をしたためです。
 (かれ)らの(のこ)した目を(そむ)けたくなるような写真にあえて目を()らす時、(わたし)たちは何を学ぶことができるでしょうか。人々の活動する姿(すがた)をとらえた写真から、何を受け取ることができるでしょうか。写真の前に立って事実を見つめることは、ヒロシマの原点を思い起こすことではないでしょうか。
 今回紹介(しょうかい)した写真は、(のこ)された写真のごく一部です。紹介(しょうかい)できなかった写真、そして写真に(のこ)されることのなかった人々がたくさん存在(そんざい)していることにも思いをはせながら、ヒロシマを見つめてもらえればと思います。


広島、1945

-写真が伝える原爆被害-