死の(まち)

 原爆(げんばく)がさく(れつ)した8月6日以後(いご)、広島の(まち)には死があふれていました。()える物は()()くされ、火災(かさい)が終息したのは3日後でした。

炎上(えんじょう)する広島

被爆(ひばく)当日、宇品(うじな)陸軍(りくぐん)船舶(せんぱく)練習本部の3階から撮影(さつえい)した広島市内 8月6日 宇品(うじな)町 爆心(ばくしん)地から4,000m 撮影(さつえい)/木村 権一(ごんいち)

被爆(ひばく)翌日(よくじつ)の広島

本通りから西向き(爆心(ばくしん)地方向)に撮影(さつえい) 8月7日 本通り 爆心(ばくしん)地から500m 撮影(さつえい)/岸田 貢宜(みつぎ) 提供(ていきょう)/岸田 哲平(てっぺい)

臨時(りんじ)火葬(かそう)場でむしろをかぶせられた遺体(いたい)

8月9日〜12日
水主町
爆心(ばくしん)地から1,360m
撮影(さつえい)宮武(みやたけ) (はじめ)
提供(ていきょう)/朝日新聞社

()けこげた上、眼球(がんきゅう)()び出した遺体(いたい)

強烈(きょうれつ)爆風(ばくふう)()により瞬間(しゅんかん)(てき)周囲(しゅうい)気圧(きあつ)が下がり、眼球(がんきゅう)内臓(ないぞう)()び出す現象(げんしょう)も起こりました。
8月10日 広島(しろ)付近(ふきん) 爆心(ばくしん)地から500m 撮影(さつえい)/中田 左都男(さつお)

地面に横たわる遺体(いたい)広島城(ひろしまじょう)付近(ふきん)

爆心(ばくしん)地から700〜800m 撮影(さつえい)/中田 左都男(さつお) >さつお)

中国(ぐん)管区(かんく)司令(しれい)(あと)付近(ふきん)をトンビが()

8月9日〜12日 (もと)町 爆心(ばくしん)地から860m 撮影(さつえい)宮武(みやたけ) (はじめ) 提供(ていきょう)/朝日新聞社

橋脚(きょうきゃく)残し(のこ )(くず)()ちた橋

8月9日〜12日 本川橋 爆心(ばくしん)地から460m 撮影(さつえい)宮武(みやたけ) (はじめ) 提供(ていきょう)/朝日新聞社

広島、1945

-写真が伝える原爆被害-