生活をとりもどす努力(どりょく) 1

 原爆(げんばく)甚大(じんだい)被害(ひがい)をもたらしました。大勢(たいせい)負傷(ふしょう)者が救護(きゅうご)所に収容(しゅうよう)され、あるいは自宅(じたく)療養(りょうよう)していましたが、日々の生活がとぎれた(わけ)ではありません。敗戦(はいせん)、そして占領(せんりょう)という変動(へんどう)のなか、人びとは復旧(ふっきゅう)復興(ふっこう)へと歩み始めました。

路面電車線路の修復(しゅうふく)工事

8月9日に己斐(こい)西天満(にしてんま)間で片側(かたがわ)運行が再開(さいかい)され、被爆(ひばく)から1か月後には己斐(こい)八丁堀(はっちょうぼり)宇品(うじな)〜広電本社前の運転が再開(さいかい)されました。全線が復旧(ふっきゅう)したのは12月でした。
10月4日〜6日 紙屋町 爆心(ばくしん)地から400m 撮影(さつえい)菊池(きくち) 俊吉(しゅんきち) 提供(ていきょう)菊池(きくち) 徳子(とくこ)

10月に開設(かいせつ)した広島駅の仮設(かせつ)事務所(じむしょ)

10月15日
松原町 爆心(ばくしん)地から1,900m
撮影(さつえい)菊池(きくち) 俊吉(しゅんきち) 提供(ていきょう)菊池(きくち) 徳子(とくこ)

立ち飲みビール屋

広島駅前や横川駅前など市内数か所に、ビールの立ち飲みができる店ができました。午前1時間、午後1時間の短い営業(えいぎょう)でしたが、行列ができるほどでした。
10月11日〜20日 撮影(さつえい)菊池(きくち) 俊吉(しゅんきち) 提供(ていきょう)菊池(きくち) 徳子(とくこ)

バラック

広島駅前の道路には、バラックで商売を始める人たちの姿(すがた)が見えました。
9月12日 松原町 爆心(ばくしん)地から1,900m
撮影(さつえい)/山上 圓太郎(えんたろう)
提供(ていきょう)/毎日新聞社

広島、1945

-写真が伝える原爆被害-