(きず)

 負傷(ふしょう)者の様子や表情(ひょうじょう)のみならず、(きず)そのものに注目した写真も多く存在(そんざい)します。米(ぐん)撮影(さつえい)したこれらの写真は、米国陸軍(りくぐん)病理学研究所に長らく保管(ほかん)され、1973年(昭和48年)に日本に返還(へんかん)されたものです。

皮膚(ひふ)色素(しきそ)脱失(だつしつ)

撮影(さつえい)/米(ぐん)

顔面のやけど

撮影(さつえい)/米(ぐん)

やけどのあと

撮影(さつえい)/米(ぐん)

口内炎(こうないえん)

撮影(さつえい)/米(ぐん)
左側面(ひだりそくめん)から熱線(ねっせん)を受けた左足 撮影(さつえい)/米(ぐん)

頭髪(とうはつ)脱毛(だつもう)

撮影(さつえい)/米(ぐん)

原爆(げんばく)白内障(はくないしょう)のイラスト

原爆(げんばく)傷害(しょうがい)調査(ちょうさ)委員会(ABCC)の元職員(しょくいん)シンスキー()所蔵(しょぞう)していた、原爆(げんばく)白内障(はくないしょう)解説(かいせつ)するイラスト。シンスキー()は1950年代に原爆(げんばく)白内障(はくないしょう)調査(ちょうさ)を行っていました。
寄贈(きぞう)/ロバート・シンスキー

背中(せなか)、両(うで)のケロイド

撮影(さつえい)/米(ぐん)

「原子爆弾(ばくだん)()る広島戦災(せんさい)医学(てき)調査(ちょうさ)報告(ほうこく)

陸軍(りくぐん)(しょう)医務(いむ)局は、8月中旬(ちゅうじゅん)と、8月(まつ)から9月中旬(ちゅうじゅん)の二度、広島に調査(ちょうさ)(だん)派遣(はけん)し、1945年(昭和20年)11月にその成果(せいか)をまとめました。
寄贈(きぞう)新妻(にいづま) 弘子(ひろこ)

ケロイドの標本(ひょうほん)

1946年(昭和21年)(はじ)めごろから、(なお)ったと思われていたやけどのあとの皮膚(ひふ)や肉が()り上がり、皮膚(ひふ)のひきつれが(あらわ)れるようになりました。原爆(げんばく)によるケロイドの発生には放射線(ほうしゃせん)影響(えいきょう)があったと考えられています。
寄贈(きぞう)/原田外科

広島、1945

-写真が伝える原爆被害-