残る傷あと
学校は9月1日から順次再開されました。戦時災害保護法が定めていた救護所の設置期間は2か月間であったため、10月5日には多くの救護所が閉鎖されました。
しかし、原爆による傷は簡単に癒えることはありませんでした。爆風や火災で破壊された建物はいまだその姿を残しており、負傷した人たちは病院へ治療に通っていました。9月になっても火葬する光景は続いていました。
■被災2、3か月後 |
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爆心地付近の旧銀行街
11月 細工町 爆心地付近 撮影/米軍
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段原地区
比治山にさえぎられた段原地区も、多くの家が半壊しました。
10月6日〜11日 段原東浦町
爆心地から3,000m
撮影/菊池 俊吉 提供/菊池 徳子 |