枕崎台風
1945年(昭和20年)9月17日、鹿児島県に上陸した枕崎台風は、九州地方を北上した後、本州を縦断しました。非常に強い台風で、広島県にも大きな被害をもたらしました。大雨のため広島市域はほとんど水浸しになり、20もの橋が流失しました。広島県の死者は1,229人、行方不明者は783人。全国の死者2,473人、行方不明者1,283人のうち半数以上が広島県での被害でした。原爆によって都市機能が壊滅した広島では、広島管区気象台、県庁、市役所、新聞、ラジオといった諸機関の復旧が十分でなかったため、台風の情報が市民に届かず、大きな被害を出すことになりました。
被爆のわずか1か月後、原爆被害からの復旧過程にあった広島は水害に見舞われ、大きな打撃を受けました。
土石流が襲った大野陸軍病院
原爆で負傷した人たちは広島市の近隣の病院にも収容されており、市の南西にある佐伯郡大野村(現 廿日市市大野)の陸軍病院にも100人近い患者が入院していました。この病院を、枕崎台風による土石流が襲い、約200人が亡くなりました。その中には、ここを拠点にしていた京都帝国大学原爆災害総合研究調査班のメンバーも含まれていました。
10月14日 佐伯郡大野村 撮影/菊池 俊吉 提供/菊池 徳子
|