はじめに

 1945年(昭和20年)8月6日、世界ではじめて広島に原爆げんばくが投下されました。まちは破壊はかいされ、多くの人々がくなり、きずつきました。
 かろうじて生きのこった人々は、さくれつしたときの閃光せんこうから、原爆げんばくのことを「ピカ」とぶことがあります。
 あの日をさかいに、大切な人やものをうばわれ、自らもきずつき、人々はどのように生きいてきたのでしょうか。
 「あのときピカがなかったら・・・」。人々は幾度いくどそう思ったでしょう。
 広島平和記念きねん資料館しりょうかんには、やく21,000点の被爆ひばく資料しりょう寄贈きぞうされています。いずれも原爆げんばく悲惨ひさんさをつたえる資料しりょうばかりです。
 この企画きかくてんでは、多くの遺品いひんを中心に、原爆げんばくによってくなった人々や家族をうしなった人々の思いを紹介しょうかいします。
 さまざまな思いにれ、一瞬いっしゅんにして人々の生活を一変いっぺんさせ、被爆ひばくから67年った今なお人々を苦しめる原爆げんばく被害ひがいについて考えていただきたいと思います。

21年目の夏
被爆ひばくから21年目の夏、やく1,000人の遺族いぞく参列さんれつし、
学徒がくと動員中に犠牲ぎせいになった人々の法要ほうよういとなまれました。
広島別院べついん(寺町)1966年(昭和41年)7月17日撮影さつえい
撮影さつえい佐々木ささき 雄一郎ゆういちろう氏 提供ていきょう塩浦しおうら 雄悟ゆうご

君を想う

-あのときピカがなかったら-