建設中(けんせつちゅう)の平和大通り 昭和28(1953)年 大手町三丁目

舗装(ほそう)されていない建設中(けんせつちゅう)の平和大通り。廃虚(はいきょ)の中をまっすぐ()びる広い道は、平和に向かって歩み続ける広島の決意を象徴(しょうちょう)するかのようである。


おわりに

 平和を(きず)くために、(わたし)たちは何をすればよいのだろう。佐々木雄一郎(ささきゆういちろう)氏の写真は、この問いに一つの答えを(あた)えてくれる。
原爆(げんばく)により廃虚(はいきょ)と化した広島で、(きず)ついた体と心に(むち)を当て、人々は復興(ふっこう)に立ち上がった。焦土(しょうど)(つち)()るう姿(すがた)瓦礫(がれき)の中から廃品(はいひん)を集める姿(すがた)(かたむ)いたバラックにバケツで水を運ぶ姿(すがた)、それらはすべて、平和を(きず)姿(すがた)ではなかっただろうか。
 都市がどれほど美しく近代的な姿(すがた)に生まれ変わろうとも、失われた命はよみがえらない。しかし、つらい記憶(きおく)(むね)()め、人々は力を合わせて平和記念都市広島の建設(けんせつ)に取り組んだ。(ふたた)び人間らしく生きるために。子どもたちの未来を(ひら)くために。平和は、人の心の中にも(きず)かれていたのである。
 平和記念都市広島は、今なお建設(けんせつ)途上(とじょう)にある。多くの犠牲(ぎせい)忍耐(にんたい)によって生まれた礎石(そせき)の上に、真の平和都市を(きず)くため、(わたし)たちはたゆまぬ努力を続けていかねばならない。
 佐々木(ささき)氏の写真はこれからも、(わたし)たちをヒロシマの原点に立ち返らせてくれるだろう。

■ご協力いただいた方々(敬称略順不同)
佐々木喜代美 塩浦雄悟 土屋秀子 朝日新聞社 中国新聞社 毎日新聞社