はじめに

 平成21(2009)年度、広島平和記念資料館(しりょうかん)は、広島平和記念都市建設法(としけんせつほう)制定(せいてい)60周年を機に、企画展(きかくてん)佐々木雄一郎写真展(ささきゆういちろうしゃしんてん)」を二部構成(にぶこうせい)開催(かいさい)する。
 佐々木雄一郎 (ささきゆういちろう)氏は、市井(しせい)の写真家として、広島に()らし、広島の戦後を()り続けた。撮影枚数(さつえいまいすう)は、30余年間(よねんかん )で10万枚(まんまい)()える。被爆(ひばく)惨状(さんじょう)、目覚ましい復興(ふっこう)軌跡(きせき)、その過程(かてい)で生じた摩擦(まさつ)やひずみなど、さまざまな事象を記録した佐々木(ささき)氏の写真は、広島戦後史の縮図(しゅくず)とも言える。
 「第1部 平和を(きず)く」では、被爆後(ひばくご)の10年間を中心に、廃虚(はいきょ)と化した街がよみがえる様子と、そこに生きる人々の()らしを、約100点の写真で振り返(ふりかえ)る。平和記念都市建設(へいわきねんとしけんせつ)の道のりは、決して平たんではなかった。原爆(げんばく)爪痕(つめあと)はあまりにも深く、市民の行く手には数々の困難(こんなん)(いた)みが待ち受けていた。佐々木(ささき)氏は、その過程(かてい)を静かに温かく見守っている。

ヒロシマの戦後を()り続けた男

佐々木雄一郎(ささきゆういちろう)

大正6(1917)年 広島市に生まれる。
昭和18(1943)年 プロカメラマンを(こころざ)し上京。
オリエンタル写真学校に学び、日本写真公社に就職(しゅうしょく)内閣情報局(ないかくじょうほうきょく)が発行する情報誌(じょうほうし)写真週報(しゃしんしゅうほう)』の撮影(さつえい)(たずさ)わる。
昭和20(1945)年 8月9日「広島に新型爆弾投下(しんがたばくだんとうか)」の(ほう)を受け、取材に(おとず)れるが、警察(けいさつ)撮影(さつえい)(きん)じられ帰京。
8月18日 広島へ帰る。自宅の()(あと)からから撮影(さつえい)を開始。以後、写真店を(いとな)みながら、広島の戦後を記録。
昭和55(1980)年 永眠(えいみん)
写真 昭和28(1953)年 36(さい)のころ