平和の象徴(しょうちょう)

■平和大通り

広島市の中心部を東西に(つらぬ)く平和大通りは、鶴見町(つるみちょう)と福島町を結ぶ全長3,570mの防災道路(ぼうさいどうろ)として計画された。幅員(ふくいん)が100mであることから、百メートル道路とも()ばれる。昭和19(1944)年末から防空対策(ぼうくうたいさく)として実施(じっし)された建物疎開(たてものそかい)跡地(あとち)が、戦後の都市計画と結びついて具現化(ぐげんか)した。

整地前の平和大通りを行く馬車

昭和24(1949)年 小町

小町から北西を見る。建物疎開(たてものそかい)(あと)瓦礫(がれき)が積まれているが、この辺りから、平和大通りの整地が始まった。左端(ひだりはし)の三角屋根は広島バプテスト教会。右に建設中(けんせつちゅう) の広島CIE図書館と広島音楽高等学校。
 

整地が進む平和大通り

昭和25(1950)年
尾道町(おのみちちょう)現在(げんざい)の大手町三丁目)

平和大通りと鯉城(りじょう)通りの交差点から東方を見る。前の写真と(くら)べ、小町から下中町(現在(げんざい)の中町)一帯の整地はかなり進んでいるが、道路中央部にバラックが残っている。

平和大通りを一望する

昭和29(1954)年 比治山(ひじやま)公園より

比治山(ひじやま)から広島市を東西に(つらぬ)く平和大通り。すでに舗装(ほそう)も始まっているが、西端(せいたん)己斐(こい)まで全通するのは昭和40(1965)年のことである。整然とした道路とは対照的に、京橋川の河岸(かがん)にはバラックが残っている。