都市の再建(さいけん)

■新しい建物

原爆(げんばく)によって失われた建物、あるいは新たに計画された病院・文化施設(ぶんかしせつ)等の建築(けんちく)も始まった。公的施設(こうてきしせつ)の多くは、広島平和記念都市建設法(としけんせつほう)によって譲与(じょうよ)された国有地に建てられた。また、市民や世界中の平和を願う人々の善意(ぜんい)によって完成した建物もあった。

児童文化会館

昭和24(1949)年
基町(もとまち)

昭和23(1948)年5月3日開館。教師(きょうし)を中心とする多くの人々の努力によって生まれた、戦後初の文化施設(ぶんかしせつ)西練兵場(にしれんぺいじょう)跡地(あとち)の北西角に建てられた。曲線のあるデザインだが、木造(もくぞう)

「平和アパート」の建築 (けんちく)

昭和25(1950)年 昭和町

昭和町に建てられた初の鉄筋(てっきん)コンクリート(づくり)市営住宅(しえいじゅうたく)「平和アパート」。昭和24(1949)年に1(とう)24戸、翌年(よくねん)2(とう)48戸が完成。入居者(にゅうきょしゃ)募集(ぼしゅう)には20倍を()える(もう)()みがあった。

広島市民病院

昭和27(1952)年 基町(もとまち)

(きゅう)西練兵場(にしれんぺいじょう)(あと)建設(けんせつ)された広島市民病院。昭和26(1951)年4月着工。昭和27(1952)年6月に内科・小児科・外科・産婦人科(さんふじんか)診療棟(しんりょうとう)病棟(びょうとう)が完成。同年8月15日から診療(しんりょう)を開始した。

建設中(けんせつちゅう)の世界平和記念聖堂(せいどう)

昭和27(1952)年
幟町(のぼりまち)

フーゴ・ラサール神父が中心となって世界に()びかけ、原爆(げんばく)犠牲者(ぎせいしゃ)追悼(ついとう)し、世界恒久(こうきゅう)平和を祈念(きねん)するために建てられた。昭和25(1950)年着工、昭和28(1953)年には西ドイツのボン市から「平和の(かね)」が(おく)られ、昭和29(1954)年8月6日に献堂式(こんどうしき)が行われた。