ぐん都の中心 2

大本営だいほんえい設置せっち

 大本営だいほんえい天皇てんのうのもとで戦争せんそう指導しどうする最高さいこう機関きかんです。1894年(明治めいじ27年)8月、日清にっしん戦争せんそうが始まった当初とうしょは東京にかれていましたが、戦況せんきょう変化へんか迅速じんそく対応たいおうするため、大陸たいりくへの出兵しゅっぺい基地きちとなっていた広島にうつされました。
 明治天皇めいじてんのうは、1894年(明治めいじ27年)9月15日から1895年(明治めいじ28年)4月27日まで、もと町にある第5師団しだん司令しれい部を大本営だいほんえいとして、軍隊ぐんたい指揮しきしました。政府せいふ高官こうかんも多く広島に移動いどうしたため、広島はまさに臨時りんじの首都のようでした。

しん戦争せんそう当時の広島市街地しがいち

1894年( 明治めいじ27年)12月28日発行
所蔵しょぞう/広島市公文書館

日清にっしん戦争せんそう当時の広島じょう

 広島じょうの本丸下段げだん現在げんざいの広島護国ごこく神社前広場)から天守閣てんしゅかくがわを写した写真。中央のスロープ右側みぎがわ、木の向こうに見える建物たてもの大本営だいほんえいです。
1894・1895年(明治めいじ27・28年)ごろ
所蔵しょぞう/広島市市民しみん局文化スポーツ部文化振興しんこう


錦絵にしきえ「広島県御安着之図ごあんちゃくのず

広島城内じょうない大本営だいほんえいに入る明治天皇めいじてんのうえがいた錦絵にしきえ。事実とはことなり、馬車ではなく騎乗きじょう姿すがたえがかれています。
1894年( 明治めいじ27年)発行 所蔵しょぞう/広島市公文書館

臨時りんじ帝国ていこく議会ぎかいの開会

 1894年(明治めいじ27年)10月18日、西練兵れんぺい場に建設けんせつされた仮設かせつ議事堂ぎじどうで、明治天皇めいじてんのう臨席りんせきのもと開院式が行われました。この議会ぎかいにおいて、日清にっしん戦争せんそう戦費せんぴをまかなう予算あんが、貴族院きぞくいん衆議院しゅうぎいんとも満場一致まんじょういっち可決かけつされました。

臨時りんじ帝国ていこく議会ぎかいかり議事堂ぎじどう

広島 城郭じょうかく内の西練兵れんぺい場に建設けんせつされたかり議事堂ぎじどう左側ひだりがわ衆議院しゅうぎいん右側みぎがわ貴族きぞく院の議場ぎじょうです。10月18日、明治天皇めいじてんのう臨席りんせきの開院式では、市内外から大勢たいせいの人々がめかけました。
1894年(明治めいじ27年)ごろ 所蔵しょぞう/広島市公文書館

臨時りんじ帝国ていこく議会ぎかいかり議事堂ぎじどうの内部
貴族院きぞくいん(上)と衆議院しゅうぎいん(下)

貴族院きぞくいん衆議院しゅうぎいんとも、議長ぎちょうせきを中心に、議員ぎいんせき扇形おうぎがた配置はいちされています。
1894年(明治めいじ27年)ごろ
所蔵しょぞう/広島市公文書館


基町

姿を変える広島開基の地