にぎわいの場へ 2

広島市民しみん球場

1950年(昭和25年)に広島カープが結成けっせいされ、球団きゅうだん関係かんけい者や市民しみんから、市の中心部への球場建設けんせつもとめる声が上がりました。1953年(昭和28年)から1954年(昭和29年)にかけてナイトゲームができる球場建設けんせつ機運きうんが高まり、1954年(昭和29年)12月、広島電鉄が2,000万円の建設けんせつ援助えんじょ資金しきん寄付きふしたことがきっかけとなり、建設けんせつ計画が具体化、市議会しぎかいでも議論ぎろんされるようになりました。
もと町が建設けんせつ予定地となりましたが、具体てきな場所の決定には時間がかかりました。児童じどう文化会館の北側きたがわ公営こうえい住宅じゅうたくっている場所や、西練兵れんぺいあとにあった広島護国ごこく神社跡地あとち合同庁舎ごうどうちょうしゃ建設けんせつ予定地などが候補こうほとなりましたが、住民じゅうみんの立ち退き反対運動や、国との交渉こうしょうにより難航なんこうしました。
1956年(昭和31年)7月、ようやく児童じどう文化会館前の児童じどう公園東南に建設けんせつすることが決定しましたが、市ぜいを使わずに建設けんせつする方針ほうしんであったため、建設けんせつ目途もくとが立たず、ふたたび球場建設けんせつ停滞ていたいしました。
結局けっきょく財界ざいかいからの寄付きふ1おく6,000万円により建設けんせつ問題は解決かいけつし、広島市民しみん球場は1957年(昭和32年)7月に完成かんせいしました。
広島市民しみん球場は、広島カープのホームグランドとしてのみならず、市民しみんのレクリエーション施設しせつとしても利用りようされました。

現在げんざいの広島市民しみん球場は、2009年(平成へいせい21年)、広島市南区に新たにオープンした球場を指しますが、今回の企画きかくてんでは、1957年(昭和32年)、もと町に建設けんせつされた球場を広島市民しみん球場と表記します。


竣工しゅんこうした広島市民しみん球場

1957年(昭和32年)7月22日、竣工しゅんこう式とナイトゲーム用照明しょうめい点灯てんとう式が行われ、二ぐんせんやカープ選手せんしゅの練習が行われました。
15,000人の観衆かんしゅう歓声かんせいひびきました。
1957年(昭和32年)7月
撮影さつえい佐々木ささき 雄一郎ゆういちろう
提供ていきょう塩浦しおうら 雄悟ゆうご

球場建設けんせつ位置いち

広島市民しみん球場の建設けんせつ地は1956年(昭和31年)に 決まりました。
提供ていきょう/広島市郷土きょうど資料館しりょうかん


整備せいび工事が始まった広島市民しみん球場予定地

1957年(昭和32年)1月
所蔵しょぞう/中国新聞社

   
チケット

1957年(昭和32年)7月22日の竣工しゅんこう式当日に行われた二ぐんせんと、7月30日に行われた広島市民しみん球場落成らくせい祝賀しゅくがシリーズのチケットです。
所蔵しょぞう/広島市公文書館

はつナイトゲームのウイニングボール

1957年(昭和32年)7月24日にはじめてナイトゲーム行われ、広島カープは阪神はんしんに15−1の大差たいさ敗れやぶ ました。
所蔵しょぞう/広島市郷土きょうど資料館しりょうかん

プロレス興行こうぎょう

プロレス興行こうぎょうが行われたこともありました。
ルーテーズ対力道山のまくが見えます。
1963年(昭和38年)
所蔵しょぞう/広島市市民しみん局文化スポーツ部文化振興しんこう

基町

姿を変える広島開基の地