ぐん都の中心 3

市民しみんいこいの場

 もと町はさまざまな軍事ぐんじ施設しせつならぶ軍用ぐんよう地ではありましたが、市民しみんに開かれた場所でもありました。軍隊ぐんたい訓練くんれん風景ふうけいながめ、とんぼりや夕涼ゆうすずみなどをする、人々の身近な場となっていました。
 広島じょう南側みなみがわ、大手くるわもうけられていた西練兵れんぺい場は、普段ふだん軍隊ぐんたい訓練くんれんに使われていましたが、ぐん許可きょかがあれば博覧はくらん会や物産ぶっさん共進きょうしん会の会場となるなど、さまざまなイベントが行われました。戦死せんし者の慰霊いれいのために毎年行われる広島招魂しょうこん祭では、競馬けいばやオートバイレースが開催かいさいされ、屋台や見世物小屋でにぎわい、市民しみんの大きな楽しみとなっていました。

昭和産業しょうわさんぎょう博覧はくらん

1929年(昭和4年)3月20日から5月13日までの55日間、西練兵れんぺい場を中心に昭和産業しょうわさんぎょう博覧はくらん会が行われました。広島市と隣接りんせつする7町村との合併がっぺい記念きねんするイベントでした。
所蔵しょぞう/広島市公文書館


広島招魂祭しょうこんさい配置はいち

広島招魂祭しょうこんさいは、毎年西練兵れんぺい場で行われていた官祭かんさい広島招魂社しょうこんしゃの祭礼です。大きな競馬けいば場がもうけられ、それをかこむように出店がならんでいます。
1936年(昭和11年) 所蔵しょぞう/広島市公文書館

時局博覧はくらん

1932年(昭和7年)4月29日から5月15日までの17日間行われた時局博覧はくらん会は、1931年(昭和6年)に始まった満州まんしゅう事変じへん戦果せんか紹介しょうかいし、戦意せんい高揚こうようさせることが目的もくてきでした。
所蔵しょぞう/広島市公文書館


広島招魂しょうこん祭での競馬けいば

広島招魂しょうこん祭では、西練兵れんぺい場を使って競馬けいばやオートバイレースが行われました。
1936年(昭和11年)ごろ
撮影さつえい渡辺わたなべ ゆずる 提供ていきょう/広島市公文書館

修学旅行しゅうがくりょこうの記

 ついに広い西練兵れんぺい場に出て、騎兵きへい馬術ばじゅつ訓練くんれんをしているのを見た。ここで少し休憩きゅうけいし、師団しだん司令しれい部の門前に来たら、軍服ぐんぷくもいかめしい銃剣じゅうけんを持った番兵ばんぺいがいた。大本営だいほんえい拝観はいかんしたいむねげると、一人の軍人ぐんじんが出てきて快諾かいだくむねげ、内にみちびいてくれた。おくおくへと進むと、門前にいたような番兵ばんぺいが二、三人直立していた。これこそ有名な大本営だいほんえい遺跡いせきである。一人の上官じょうかんがやって来て本営ほんえいの由来と注意をべた。帽子ぼうし弁当べんとうなどをそこにいて大本営だいほんえい拝観はいかんした。まず、その荘厳そうごん静粛せいしゅく質素しっそであることにおどろいた。

現代げんだいかなづかいや新字体の漢字にえるなど読みやすいようにあらため、適宜てきぎ要約ようやくしています。

綴方つづりかた

広島県佐伯さえきぐん大野村(現在げんざいの広島県廿日市はつかいち市大野)の大野下尋常じんじょう高等小学校(現在げんざい廿日市はつかいち市立大野西小学校)の生徒せいとだった中川精次郎せいじろうさんが、学校のつづり方(作文)の時間に使用したノートです。
1914年度(大正3年度)
所蔵しょぞう/広島市郷土きょうど資料館しりょうかん

基町

姿を変える広島開基の地