にぎわいの場へ 1

 1946年(昭和21年)に決定された復興ふっこう都市計画で、もと町の西側にしがわ大半は公園用地として計画されました。その後、広島平和記念きねん都市建設けんせつほう公布こうふされ1952年(昭和27年)に広島平和記念きねん都市建設けんせつ計画が決定します。
 もと町の西半分のうち、南側みなみがわ部分には、さまざまな文化施設しせつやスポーツ施設しせつ建設けんせつされていきました。

公園にもうけられた子どもたちのための施設しせつ

右側みぎがわ手前に市民しみん広場、おく児童じどう文化会館が見えます。左側ひだりがわは広島護国ごこく神社あとで、そのおく児童じどう図書館です。
1953年(昭和28年)8月5日 提供ていきょう/広島市公文書館

児童じどう文化会館前で写生をする子どもたち

児童じどう文化会館は、広島市内で被爆ひばく後に生まれた最初さいしょの文化施設しせつとして、1948年(昭和23年)5月3日に開館しました。
 1949年(昭和24年) 撮影さつえい佐々木ささき 雄一郎ゆういちろう 提供ていきょう塩浦しおうら 雄悟ゆうご

平和への歩み

1949年(昭和24年)の第3回広島平和祭は、児童じどう文化会館前の市民しみん広場で行われ、浜井はまい広島市長により平和宣言せんげんが発表されました。
 1949年(昭和24年)7月、現在げんざいの相生通り沿いにつ広島商工会議かいぎ所の東となりに中央公民館こうみんかん建設けんせつされ、その一室に同年9月、原爆げんばく参考さんこう資料しりょう陳列ちんれつ室が開設かいせつされました。被爆ひばくがわらなど原爆げんばく関係かんけい資料しりょう展示てんじされ、現在げんざいの平和記念きねん資料館しりょうかんの前身となりました。

第3回広島平和祭

1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)まで広島平和祭が開催かいさいされ、8月6日には式典しきてんが行われました。
1949年(昭和24年)8月6日
所蔵しょぞう/中国新聞社

原爆げんばく参考さんこう資料しりょう陳列ちんれつ

1949年(昭和24年)9月25日
所蔵しょぞう/中国新聞社

   広島じょう

広島じょう天守閣てんしゅかく原爆げんばくうしなわれていましたが、1958年(昭和33年)、広島復興ふっこう博覧はくらん会の会場の1つとして再建さいけんされ、ほぼ被爆ひばく前と同じ姿すがたあらわしました。市民しみんの身近な存在そんざいだった広島じょう天守閣てんしゅかくは、もと町のランドマークとして復元ふくげんされ、広島の復興ふっこうを見守ることになりました。

再建さいけんが進む広島じょう天守閣てんしゅかく

1957年(昭和32年)
所蔵しょぞう/中国新聞社

広島復興ふっこう博覧はくらん会(第三会場郷土きょうど館)

広島復興ふっこう博覧はくらん会は、1958年(昭和33年)4月1日から5月20日までの50日間で開催かいさいされました。広島じょう天守閣てんしゅかくが第三会場の「郷土きょうど館」となり、広島の歴史れきし自然しぜん紹介しょうかいしました。
1958年(昭和33年)4月
提供ていきょう/広島市公文書館

基町

姿を変える広島開基の地