第五福竜丸の被ばくと広島・長崎への関心の高まり
1954(昭和29)年3月1日アメリカは北太平洋赤道海域のマーシャル諸島ビキニ環礁で広島・長崎級原爆の1,000倍以上の威力を持つ水爆実験を行いました。
アメリカが設定した危険海域の外で操業をしていた日本のマグロ漁船「第五福竜丸」の23名の乗組員は、実験3~4時間後、放射能を大量に含んだ「死の灰」を浴びました。
灰が付着した部分は、やけど状態になり、頭痛・吐き気・歯茎からの出血・脱毛など急性放射能症(原爆症)の症状を示しました。
医師団が組織され、乗組員の治療にあたりましたが、無線長の久保山愛吉さんが死亡しました。
この事件は国民の大きな反響を呼び、反核・平和運動が一気に盛り上がり、1955(昭和30)年8月の広島における第1回原水爆禁止世界大会の開催につながっていきます。
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49 保存されている第五福竜丸
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