きかくてんをみよう
はじめに


 この展示会(てんじかい)では、原爆(げんばく)投下(とうか)直後から現在(げんざい)まで行なわれてきた被爆(ひばく)調査(ちょうさ)軌跡(きせき)をたどります。
 原爆投下後(げんばくとうかご)日本(にほん)政府(せいふ)と軍はいち早く調査団(ちょうさだん)派遣(はけん)します。これは、原子(げんし)爆弾(ばくだん)であることを確認(かくにん)するために行なったのものでした。以後、さまざまな機関や研究者によって被爆(ひばく)調査(ちょうさ)が行なわれていました。初期調査(しょきちょうさ)にあたった当時の日本有数の研究者たちをはじめ、これまでの調査(ちょうさ)にあたった研究者の多くは原子(げんし)爆弾(ばくだん)特性(とくせい)をよく知った上で調査(ちょうさ)を行ってきました。
 (かれ)らが広島の惨状(さんじょう)の何をどのように調査(ちょうさ)をしたのかを知ることは、(わたし)たちが原子(げんし)爆弾(ばくだん)の真実の姿(すがた)を、より深くより正確(せいかく)理解(りかい)することにつながると考えます。

 被爆(ひばく)・終戦と続く混乱(こんらん)の時代に被爆(ひばく)調査(ちょうさ)を続けることには、物資(ぶっし)や食料の不足、社会不安、占領下(せんりょうか)のアメリカ側からの圧力(あつりょく)制約(せいやく)など大変な困難(こんなん)(ともな)いました。しかし、被爆(ひばく)調査(ちょうさ)は研究者たちの懸命(けんめい)な努力によって途切(とぎ)れることなく続けられました。
 研究者たちの調査(ちょうさ)の目的が何であったのか、何が(かれ)らを調査(ちょうさ)()り立てたのか、そして、現在(げんざい)も続けられている被爆(ひばく)調査(ちょうさ)意義(いぎ)は何なのかを、この展示会全体(てんじかいぜんたい)を通してお考えいただければと(ぞん)じます。

 また、これまで行なわれた被爆(ひばく)調査(ちょうさ)の結果は、表面的には膨大(ぼうだい)数値(すうち)や文字、あるいは表となって報告(ほうこく)されています。しかし、その一つ一つのデータは、まぎれもなく生身の被爆者(ひばくしゃ)被爆体験(ひばくたいけん)を表しています。被爆(ひばく)調査(ちょうさ)実態(じったい)報告書(ほうこくしょ)を通して、被爆者(ひばくしゃ)の苦しみ・無念さ・(いきどお)りを、より深くご理解(りかい)いただければ幸いです。

 企画展(きかくてん)開催(かいさい)にあたり、多くの方々に貴重(きちょう)資料(しりょう)情報(じょうほう)提供(ていきょう)をいただきました。この場をお借りして(あつ)くお礼申し上げます。

   2003(平成15)年7月25日
広島平和記念資料館(ひろしまへいわきねんしりょうかん)
館長 畑口 (みのる)


2(右)
被爆調査
(ひばくちょうさ)
に向かう「原子(げんし)爆弾(ばくだん)災害(さいがい)調査(ちょうさ)研究(けんきゅう)特別(とくべつ)委員会(いいんかい)調査団(ちょうさだん)
3(下)
重度の原爆症(げんばくしょう)で死を待つだけの少女
1(上)
爆心地付近
(ばくしんちふきん)
放射線(ほうしゃせん)測定(そくてい)する研究者

  原子(げんし)爆弾(ばくだん)ナリト(みと)
原爆投下後(げんばくとうかご)に行われた被爆(ひばく)調査(ちょうさ)軌跡(きせき)を追う

 ●はじめに
 ●被爆前夜─日本の原子物理・放射線の研究状況
 ●突然襲ってきた「新型爆弾」の悲劇
 ●混乱の中の初期調査と原爆の確認
 ●終戦の混乱の中でも続けられる被爆調査
 ●原子爆弾災害調査研究特別委員会と日米合同調査団
 ●日本映画社による原子爆弾記録映画の制作
 ●占領終了後の被爆調査
 ●現在における被爆調査の役割
 ●おわりに/ご協力いただいた方々・参考文献

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