きかくてんをみよう
突然(とつぜん)(おそ)ってきた「新型爆弾(しんがたばくだん)」の悲劇(ひげき)


それまでほとんど空襲(くうしゅう)らしい空襲(くうしゅう)を受けたことのなかった広島の、いつもどおりの暑い夏の一日が始まろうとした1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、突然(とつぜん)、人類が初めて経験(けいけん)する原子(げんし)爆弾(ばくだん)が市民の日常生活(にちじょうせいかつ)の真上に投下されました。
何の知識(ちしき)もない市民は、何が起こったかまったくわからないまま一瞬(いっしゅん)の内に多くが犠牲(ぎせい)になり、また、火災(かさい)(のが)れるために()(まど)いました。そして、()()びた被爆者(ひばくしゃ)も大やけどを負い、おう()下痢(げり)・発熱などの急性障害(きゅうせいしょうがい)で自分がどうして死ななくてはならないのかさえも分からないまま、その多くが無念の死をとげていきました。
大混乱(だいこんらん)の中、被爆者(ひばくしゃ)の多くには、十分な治療(ちりょう)情報(じょうほう)(あた)えられなかったのです。


7 被爆(ひばく)直後のきのこ雲
1945(昭和20)年8月6日撮影(さつえい)

8 被爆(ひばく)1時間後、炎上(えんじょう)する広島市内
1945(昭和20)年8月6日撮影(さつえい)

9 被爆(ひばく)当日の市内の惨状(さんじょう) 爆心地(ばくしんち)から2,270m
1945(昭和20)年8月6日撮影(さつえい)

10 火災(かさい)(けむり)の残る市街地
1945(昭和20)年8月7撮影(さつえい)

11救護所(きゅうごじょ)避難(ひなん)した被災者(ひさいしゃ)
1945(昭和20)年8月8日撮影(さつえい)

12 8月8日付新聞記事
この時すでにアメリカは原爆投下(げんばくとうか)を公表していました。

 

  原子(げんし)爆弾(ばくだん)ナリト(みと)
原爆投下後(げんばくとうかご)に行われた被爆調査(ひばくちょうさ)軌跡(きせき)を追う

 ●はじめに
 ●被爆前夜─日本の原子物理・放射線の研究状況
 ●突然襲ってきた「新型爆弾」の悲劇
 ●混乱の中の初期調査と原爆の確認
 ●終戦の混乱の中でも続けられる被爆調査
 ●原子爆弾災害調査研究特別委員会と日米合同調査団
 ●日本映画社による原子爆弾記録映画の制作
 ●占領終了後の被爆調査
 ●現在における被爆調査の役割
 ●おわりに/ご協力いただいた方々・参考文献

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