日本の原子物理・放射線の研究状況
戦前の原子物理学をリードした理化学研究所
理化学研究所は、1917(大正6)年科学技術の発展を通して日本の産業発展に貢献することを目的に設立され、日本初のサイクロトロンを完成させて世界で最先端の研究を行い、戦前の日本の原子物理学研究の中心的存在でした。
サイクロトロンとは、原子核を磁場の中で回転させながら加速する装置です。新しい元素を創ろうとしたり、有用な放射性物質を生成する研究が盛んに行なわれていました。
理化学研究所における原子物理学研究の中心となったのは、仁科研究室でした。主任研究員の仁科芳雄氏は、1928(昭和3)年に帰国するまで当時原子物理学研究では世界的権威であったコペンハーゲン大学ボーア研究室に在籍し、世界のトップレベルの研究者たちと最先端の研究を行なっていました。
陸・海軍による原子爆弾の研究
海軍は、1942(昭和17)年、「核物理応用研究委員会」を発足させますが、「今度の戦争中にはアメリカでも原子爆弾を実現することは困難」との結論を出し1943(昭和18)年に解散しました。
陸軍は、1939(昭和14)年に内部検討を始め、1941(昭和16)年4月陸軍航空技術研究所が原爆開発を理化学研究所に依頼。1943(昭和18)年の初めから「ニ号研究」として熱拡散法による濃縮ウランを造る具体的な研究を開始しました。
しかし、日本の原子爆弾の研究はいずれも何の成果も挙げられないまま終戦を迎えます。
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5 日本初の理化学研究所サイクロトロン
1937(昭和12)年撮影)
6 二号研究(原子爆弾開発)の進行状況報告書
1944(昭和19)年2月2日付
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