京都帝国大学調査団の調査活動
陸軍京都師団司令部から被爆調査の依頼を受けた京都帝国大学は、理学部の・木村毅一助教授・清水栄講師、医学部の杉山繁輝教授・島本光顕講師・木村雅の各研究者らと、軍から派遣されていた技官を含めて総勢10名からなる京都大学調査団を編成しました。
調査団は、8月10日午後広島に入り、大本営主催陸海軍合同検討会に出席するとともに、物理・医学両分野での調査に入りました。
理学部の荒勝教授らは市内で試料を採取後、11日に広島を発って大学に持ち帰りこれを測定した結果、放射線を確認します。
調査団は一度はすべて広島から引き上げましたが、8月27日、中国軍管区司令軍医部から杉山教授に再度の調査依頼がなされます。菊池武彦(血液学)・舟岡省吾(解剖学)両教授と相談しこれを了承します。
9月2日に京都帝国大学総合研究調査第1班先発隊が広島に入り、9月4日には第1班本隊が広島に到着して、郊外の大野陸軍病院で被災者の診察を開始しました。
しかし、広島県内で2,600人もの犠牲者を出すことになる枕崎台風が広島地方を9月17日に通過し、この台風により引き起こされた山津波の一つが京都帝国大学調査団が本拠地としていた大野陸軍病院を襲い、11名もの犠牲者を出しました。これにより、京都帝国大学調査団はその活動を停止せざるをえませんでした。
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25 京都帝国大学原爆災害総合研究調査班牛田地区診療班
1945(昭和20)年9月撮影
26 山津波によって破壊された大野陸軍病院の惨状
1945(昭和20)年9月撮影
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