生きる

平和への思い

「自分にできることがあれば」

片岡脩(かたおかしゅう)さん

 片岡(かたおか)さん(当時13(さい))は、広島県立第一中学校1年生の時、校舎(こうしゃ)内で被爆(ひばく)原爆(げんばく)で父親と兄を()くし、また片岡(かたおか)さん自身も原爆症(げんばくしょう)に苦しみ続けました。
 片岡(かたおか)さんは、大学生時代、先輩(せんぱい)(すす)められて、デザインの道をめざすと、早くから商業広告の第一線で活躍(かつやく)するようになりました。
 片岡(かたおか)さんは、原爆(げんばく)に関すること、後遺症(こういしょう)などを表面に出して生きることに大きな抵抗(ていこう)がありましたが、その思いも年とともに変化してきて「二度とヒロシマ、ナガサキの惨事(さんじ)()(かえ)さないためにも、自分にできることがあれば」と考えるようになりました。被爆(ひばく)40年後の1985年(昭和60年)に、静かな(うった)えと自分なりの思いを()めた「平和ポスター」を発表します。100(まい)の完成を目指していましたが、1997年(平成9年)、70数点を制作(せいさく)したところで()くなりました。

提供/片岡恒子氏


1985年

1985年

1986年

1990年
     
 
 

 

 

 

 
1990年
 
 
1990年

1991年
       

 

 

 

 
1992年
 
   
平和ポスター
寄贈/片岡恒子氏
※年数は制作年
   
1993年

1995年

1995年
 

生きる

-1945.8.6 その日からの私-