心を鬼にして
松重美人さん
松重さんは、1941年(昭和16年)、芸備日日新聞社に入社しました。芸備日日新聞社が中国新聞社に吸収合併された後は写真部に所属し、1944年(昭和19年)以降は、中国軍管区司令部の報道班員も兼ねました。
松重さん(当時32歳)は翠町の自宅で被爆。被爆直後、勤務先の中国新聞社に向かうため、市街地に入ろうとしましたが、火災のため入ることができず、御幸橋まで引き返しました。報道カメラマンである松重さんは、御幸橋の惨状を撮影しようとしましたが、地獄のような光景を前に、なかなかシャッターを切ることができませんでした。その場所で30分以上葛藤した末、心を鬼にしてシャッターを切りましたが、「被災者を助けもせずに写真を写しているので、被災者は私のことを無慈悲に思ったのでは」という思いが残りました。8月6日に松重さんが撮影した5枚の写真は、歴史の証人です。
1969年(昭和44年)、中国新聞社を定年退職後は、証言者として被爆体験を語り始めます。1978年(昭和53年)には、広島在住の原爆写真撮影者とその遺族で「広島原爆被災撮影者の会」を設立し、原爆被災写真の保存と整理に力を注ぎました。2005年(平成17年)死去。
提供/松重美人氏