昭和22年 夏

本通り商店街の再建(さいけん)

広島の目抜(めぬ)き通りだった本通り商店街は原爆(げんばく)の投下によって壊滅(かいめつ)したが、翌年(よくねん)旧商店主(きゅうしょうてんしゅ)らが再建(さいけん)に立ち上がった。2年後には、木造(もくぞう)住宅兼(じゅうたくけん)店舗(てんぽ)が建ち(なら)び、営業(えいぎょう)再開(さいかい)している。買い物を楽しむ余裕(よゆう)のある人は少なかったが、通りのにぎわいは(もど)りつつあった。

刃物店(はものてん) 撮影場所(さつえいばしょ)/平田屋町(現在(げんざい)の本通) 本通り商店街東詰付近(ひがしづめふきん)営業(えいぎょう)再開(さいかい)した刃物店(はものてん)。ハサミからノコギリまで刃物全般(はものぜんぱん)(なら)べている。店先に置かれた力強い看板(かんばん)が、菊池(きくち)氏に足を止めさせたのだろうか。
すずらん灯の復活(ふっかつ) 撮影場所(さつえいばしょ)/革屋町(かわやまち)(現在(げんざい)の本通) かつて本通りのシンボルだった鉄製(てっせい)アーチ型のすずらん灯は戦争中の金属回収(きんぞくかいしゅう)により姿(すがた)を消していた。小さくはなったが、通りの両側に復活(ふっかつ)した木製(もくせい)のすずらん灯は、商店街を歩く人の心を明るく照らしたに(ちが)いない。

釣具店(つりぐてん) 撮影場所(さつえいばしょ)/革屋町(かわやまち)(現在(げんざい)の本通) ()り道具一式を(あつか)う店。少ない商品を工夫して陳列(ちんれつ)している。釣り好(つりず)きの菊池(きくち)氏が思わず立ち寄(たちよ)ったのだろうか。
 
洋品店 撮影場所(さつえいばしょ) 平田屋町(現在(げんざい)の本通) 経済(けいざい)統制(とうせい)によって商品は不足し価格(かかく)高騰(こうとう)したため、専門店(せんもんてん)が品数をそろえるのは容易(ようい)ではなかった。小さいながらも、しゃれた洋品店だ。

菊池俊吉(きくちしゅんきち)氏の面影(おもかげ)  
(つま)徳子(のりこ)さんが語る―

趣味(しゅみ)多彩(たさい)で何でもやりました。一番好きなのは()り、スキーも得意でした。」
「家ではパイプを()っていました。家中(にお)って大変でした。」
「大きなリュックに機材を入れてどこへでも行きました。カメラは家族にも(さわ)らせず、毎日自分で手入れしました。」

愛用のパイプ、カメラと露出計(ろしゅつけい)
(写真・資料提供(しりょうていきょう)/菊池徳子(きくちのりこ)氏)


ネクタイ姿(すがた)でスキー板をはく菊池(きくち)