1947(昭和22)年8月、菊池俊吉氏は写真集「LIVING HIROSHIMA」製作スタッフの一員として、再び広島を訪れることになった。 この年、広島県観光協会は、海外からの観光客を誘致するため、被爆の惨禍から復興に向かう広島と県内景勝地を紹介する英語版写真集の刊行を計画した。発行を委嘱された瀬戸内海文庫の代表者田中嗣三氏が製作者に選んだのは、菊池氏を含む旧東方社のメンバーで再出発した文化社だった。 「LIVING HIROSHIMA 生きている広島」は、資金不足や検閲などの困難を乗り越え、1949(昭和24)年5月に発刊された。冒頭の一文は「Hiroshima
is still alive.(広島は今も生きている。)」だった。