昭和20年 秋
赤十字旗の下で
戦傷病者(せんしょうびょうしゃ)とその救護(きゅうご)にあたる人や施設(しせつ)を攻撃(こうげき)から守るために定められた赤十字マーク。被爆後(ひばくご)、赤十字の旗や看板(かんばん)は、焼け残った市内の病院、救護病院(きゅうごびょういん)となった検疫所(けんえきじょ)や国民学校にも掲(かか)げられた。菊池(きくち)氏は、病院や救護所(きゅうごじょ)を訪(おとず)れ、原爆(げんばく)が人体に及(およ)ぼした被害(ひがい)や治療(ちりょう)の様子を撮影(さつえい)した。その記録は占領軍(せんりょうぐん)によって接収(せっしゅう)され、1973(昭和48)年に複写(ふくしゃ)フィルムとなって返還(へんかん)された。以後、菊池(きくち)氏が撮影(さつえい)した写真は数々の報告書(ほうこくしょ)や出版物(しゅっぱんぶつ)に掲載(けいさい)され、原爆被害(げんばくひがい)の悲惨(ひさん)さや特殊性(とくしゅせい)を伝えている。