昭和22年 夏
経済(けいざい)と産業の復興(ふっこう)
原爆(げんばく)は衣食住だけでなく生活の糧(かて)を得る職場(しょくば)も奪い去(うばいさ)った。ヤミ市は規制(きせい)の強化によって縮小(しゅくしょう)しつつあったが、物資(ぶっし)の不足と価格(かかく)の高騰(こうとう)はなかなか改善(かいぜん)されず、収入(しゅうにゅう)の途絶(とだ)えた市民を苦しめた。一方、連合国最高司令官総司令部(そうしれいぶ)(GHQ)は、工業設備(せつび)を撤去(てっきょ)して戦勝国への賠償(ばいしょう)に充(あ)てさせるため、広島市とその周辺の主要工場に現状維持(げんじょういじ)を義務付(ぎむづ)けた。このことも、経済(けいざい)の復興(ふっこう)を大きく阻害(そがい)した。本格的(ほんかくてき)な復興(ふっこう)を目指すには、工場や商店を再建(さいけん)し生産や流通を回復(かいふく)させること、市民の雇用(こよう)を促進(そくしん)し購買力(こうばいりょく)を生むことが必要だった。
地場産業の復活(ふっかつ)