昭和20年 秋
復興(ふっこう)のきざし
被爆後(ひばくご)75年間は草木も生えないと言われた広島。しかし、広島は息絶(た)えてはいなかった。生命線である輸送機関(ゆそうきかん)、通信、電力などをいち早く復旧(ふっきゅう)させ、人や物資(ぶっし)を運び、情報(じょうほう)やエネルギーの供給(きょうきゅう)を確保(かくほ)した。2ヵ月後、焼け跡(あと)にはバラックの建物が目につくようになり、駅前など人の集まる場所にはヤミ市が発生した。バラックとヤミ市の増大(ぞうだい)は、治安や衛生面(えいせいめん)の問題を抱(かか)えてはいたが、復興(ふっこう)の始まりを象徴(しょうちょう)する現象(げんしょう)だった。 菊池(きくち)氏は、駅周辺に街とそこに生きる人々の復興(ふっこう)のきざしを見出し、カメラに収(おさ)めている。