きかくてんをみよう

学術(がくじゅつ)調査団(ちょうさだん)の記録

被爆(ひばく)調査(ちょうさ)活動(かつどう)

林重男氏ら物理班(ぶつりはん)の主な目的は、爆心(ばくしん)の位置を推定(すいてい)すること、放射線(ほうしゃせん)測定(そくてい)しその影響(えいきょう)調査(ちょうさ)することであった。一行は、残留(ざんりゅう)放射能(ほうしゃのう)が最も強い己斐(こい)高須地区(たかすちく)(おとず)れた。
宿舎(しゅくしゃ)に帰ってから『どうも東京で予想していた放射能(ほうしゃのう)より少ない』という言葉をチラッと耳にしました。(中略(ちゅうりゃく)枕崎(まくらざき)台風(たいふう)との因果(いんが)関係(かんけい)存在(そんざい)するかもしれない、このことがいまだに()けない(なぞ)なのです。」*

打ち合わせ中の調査団(ちょうさだん)

打ち合わせ中の調査団(ちょうさだん)

撮影場所 基町(もとまち)
爆心地からの距離 約170m

広島護国(ごこく)神社参道(さんどう)大鳥居前(おおとりいまえ)で打ち合わせをする調査団(ちょうさだん)(はん)ごとにその日の行動予定を確認(かくにん)し、目的地へ向かった。

爆心地(ばくしんち)での放射線測定(ほうしゃせんそくてい)

撮影場所 細工町(さいくまち)(現在の大手町一丁目)
爆心地からの距離 0m

爆心地(ばくしんち)島病院南側に(あな)()り、ネーヤ電位計(でんいけい)で土中の放射線(ほうしゃせん)測定(そくてい)する調査員(ちょうさいん)。二人は理化学(りかがく)研究所(けんきゅうしょ)宮崎(みやざき)友喜雄(ゆきお)氏と池田(いけだ)正雄(まさお)氏で、測定値(そくていち)をもとに放射線(ほうしゃせん)分布図(ぶんぷず)を作成した。

広島護国(ごこく)神社の鳥居(とりい)を調べる

撮影場所 基町(もとまち)
爆心地からの距離 約330m

拝殿(はいでん)前で爆風(ばくふう)により倒壊(とうかい)した鳥居(とりい)の大きさを(はか)調査員(ちょうさいん)。柱の直径は60cm以上あった。

屋根に残る放射能(ほうしゃのう)

撮影場所 己斐町(こいまち)(現在の己斐上(こいうえ)
爆心地からの距離 約3,700m

黒い雨の()った己斐町(こいまち)の民家で、屋根に上がり、土や(どろ)採集(さいしゅう)する調査員(ちょうさいん)


黒い雨に打たれたズボン

黒い雨に打たれたズボン

撮影場所 己斐町(こいまち)(現在の己斐上(こいうえ)
爆心地からの距離 約3,700m

黒い雨の影響(えいきょう)を調べるため広島市西部に向かい、己斐町(こいまち)の民家にあった(よご)れたままのズボンを手にする調査員(ちょうさいん)泥水(どろみず)のような雨だったことがよく分かる。

黒い雨に打たれた雨戸(あまど)

黒い雨に打たれた雨戸(あまど)

撮影場所 古田町(現在の高須(たかす)
爆心地からの距離 約4,200m

広島気象台(きしょうだい)職員(しょくいん)だった宇田(うだ)道隆(みちたかし)氏の自宅(じたく)で、雨戸を見る調査員(ちょうさいん)爆風(ばくふう)で庭へ飛ばされた雨戸は、その後(はげ)しく()った黒い雨に打たれ、そのまま戸袋(とぶくろ)(おさ)められていた。こびりついた(どろ)爆心地(ばくしんち)の数倍の放射能(ほうしゃのう)を帯びていた。

 


植物の被害(ひがい)再生(さいせい)

林重男氏は、広島城跡(ひろしまじょうせき)()入りフジバカマを撮影(さつえい)した後、食事に出たサツマイモになぜか手を()ばせなかった。一方、西向寺墓地(にしむきじぼち)で見つけたアサガオには、清々しい安らぎを感じ、何も考えず無意識(むいしき)のうちにシャッターを切っている。
「そのときの静かに流れたいっときの時間が、(わたし)脳裏(のうり)に焼き付けられて、今でもときどき思いだされます。」*

斑入(ふい)りのフジバカマ

撮影場所 基町(もとまち)
爆心地からの距離 約900m

(きゅう)大本営跡(だいほんえいあと)に生えていたフジバカマ。同じ場所でも、エノコログサ、カヤツリグサなどには影響(えいきょう)が見られなかった。

斑入(ふい)りのヒマ

撮影場所 基町(もとまち)
爆心地からの距離 約900m

広島護国(ごこく)神社付近(ふきん)採集(さいしゅう)されたヒマ。放射線(ほうしゃせん)影響(えいきょう)葉緑素(ようりょくそ)欠乏(けつぼう)し、斑入(ふい)りとなっている。


斑入(ふい)りのヤマゴボウ

撮影場所 基町(もとまち)
爆心地からの距離 約900m

(きゅう)大本営跡(だいほんえいあと)に生えていたヤマゴボウ。放射線(ほうしゃせん)による斑入(ふい)りや葉の変形が見られる。

西向寺(さいこうじ)墓地(ぼち)のアサガオ

撮影場所 細工町(さいくまち)
爆心地からの距離 70m

爆心地(ばくしんち)周辺(しゅうへん)は「75年間草木も生えぬ」といわれていたが、墓石(ぼせき)の間に青々と元気よくつるをのばした姿(すがた)はひときわ目を引いた。数時間前に()いたと思われるしぼんだ花もついていた。

広島城(ひろしまじょう)のユーカリとマルバヤナギ

撮影場所 基町(もとまち)
爆心地からの距離 約720m

二の丸から(ほり)(わた)って本丸(ほんまる)中御門(なかごもん)へ向かう道。中央のユーカリは葉をつけている。(かたむ)いたスギの向こうにマルバヤナギの太い(みき)が見える。どちらも今なお緑の葉を(しげ)らせている。