きかくてんをみよう

ヒロシマ壊滅(かいめつ)の記録

廃虚(はいきょ)見渡(みわた)

林重男氏は、東京大空襲(とうきょうだいくうしゅう)を体験している。焼夷弾(しょういだん)焼き払(やきはら)われた街の光景はいやというほど目にしたはずだが、広島の廃虚(はいきょ)見渡(みわた)した瞬間(しゅんかん)、言葉を失い立ちつくした。
「これが本当にたった一発の爆弾(ばくだん)威力(いりょく)なのか。」*
やがて現実(げんじつ)にもどった林氏は、カメラを(かま)えた。

中国新聞社新館屋上から

撮影場所 上流川町(かみながれかわちょう)(現在の胡町(えびすちょう)
爆心地からの距離 約800m

現在(げんざい)三越百貨店(みつこしひゃっかてん)の位置にあった中国新聞社新館からのパノラマ写真。屋上の観測室(かんそくしつ)からは、市内全域(しないぜんいき)はもとより中国山地や周辺の島々まで見渡(みわた)すことができた。8月6日、その風景は一変した。


商工組合(しょうこうくみあい)中央金庫(ちゅうおうきんこ)屋上から南東に向かって

商工組合(しょうこうくみあい)中央金庫(ちゅうおうきんこ)屋上から南東に向かって

撮影場所 東魚屋町(ひがしうおやちょう)(現在の立町(たてまち)
爆心地からの距離 約610m

屋上の(かべ)は、爆風(ばくふう)により崩落(ほうらく)している。地上に白く()びる道路は金座街(きんざがい)、道路沿()いに焼け残った3階建てのビルはキリンビヤホール。遠方にくっきりと金輪島が見える。

商工組合(しょうこうくみあい)中央金庫(ちゅうおうきんこ)屋上から北西に向かって

商工組合(しょうこうくみあい)中央金庫(ちゅうおうきんこ)屋上から北西に向かって

撮影場所 東魚屋町(ひがしうおやちょう)(現在の立町(たてまち)
爆心地からの距離 約610m

鉄骨(てっこつ)枠組(わくぐ)みだけとなっているのが広島市水道部(すいどうぶ)基町庁舎(もとまちちょうしゃ)鍛治(かじ)工場。木造(もくぞう)庁舎(ちょうしゃ)や倉庫は焼きつくされ、出勤(しゅっきん)していた職員(しょくいん)は全員()くなった。木炭バスが走り、被爆(ひばく)した路面電車が道路脇(どうろわき)に放置されている。