きかくてんをみよう

林重男氏に聞く

『CD-ROM岩波平和ミュージアム』制作(せいさく)のため、2001年6月、林氏の自宅(じたく)収録(しゅうろく)されたインタビュー映像(えいぞう)(約6分)。パノラマ撮影(さつえい)にまつわるエピソード、広島と長崎(ながさき)で感じたこと、平和への思いなどが語られる。『岩波DVDブックPeace Archives ヒロシマ・ナガサキ』(2007年7月刊行予定(かんこうよてい))にも収録予定(しゅうろくよてい)
「前に映画(えいが)の仕事をしてたのが役に立ったね.」
「とにかく、にぎりめしは1個(1こ)、水は飲んじゃいけない.」
「二度と()らせるんじゃないぞ。もうそれだけだね.」
江戸(えど)っ子らしいさっぱりした明るさと(なみだ)もろさをあわせ持つ林氏の素顔(すがお)がよく(あらわ)れている。

おわりに

林重男氏の写真に、目をおおいたくなるような生々しさはない。
しかしそこには、写らなかったものを思い(えが)かせる力がある。
それを可能(かのう)にしたのは、林氏の気迫(きはく)ではないだろうか。
おにぎり1個(1こ)の食事で1日中歩いて()った写真、
占領軍(せんりょうぐん)の要求をかわして守り続けたフィルム。
広島・長崎(ながさき)資料館(しりょうかん)(たく)されたものは、
林氏の分身ともいえる貴重(きちょう)な記録のみではない。
「このような記録は(わたし)たちの写真が永遠(えいえん)に最後であるように。」*
61年前、廃虚(はいきょ)見渡(みわた)した林氏が(むね)を熱くした思い、
後年の林氏が『反核(はんかく)・写真運動』に()めた願いを、
資料(しりょう)とともに永久(えいきゅう)保存(ほぞん)し伝えることが、
われわれの使命である。

カンベル式日照計記録紙

撮影場所 江波(えば)
爆心地からの距離 約3,630m

1946(昭和20)年8月6日、広島地方気象台の屋上に置かれていたカンベル式日照計の記録紙。
8時15分、きのこ雲が立ち上り、数分後、いったん顔をのぞかせた太陽を火災(かさい)による猛煙(もうけむり)がふたたび覆い隠(おおいかく)す。

カンベル式日照計記録紙

ご協力いただいた方々・機関

敬称略(けいしょうりゃく) 順不同)
林建郎 井手三千男(いでみちお)(故人(こじん)) 小松健一 宗形慧(むなかたさとる) 岩波書店 東京都写真美術館(しゃしんびじゅつかん) 放射線(ほうしゃせん)影響(えいきょう)研究所(けんきゅうじょ) 広島市江波山(えばやま)気象館(きしょうかん)

主な参考資料(さんこうしりょう)

原爆(げんばく)()った男たち (「反核(はんかく)・写真運動」(へん) 草の根出版会(しゅっぱんかい)) 
原子爆弾(げんしばくだん) 広島長崎の写真と記録 (仁科(にしな)記念財団(きねんざいだん)編纂(へんさん) 光風社書店)
戦争のグラフィズム (多川(たがわ)精一(せいいち)(ちょ) 平凡社(へいぼんしゃ))       
広島原爆(げんばく)戦災誌(せんさいし) (広島市) 
ヒロシマの被爆(ひばく)建造物(けんぞうぶつ)は語る (広島市)
CD‐ROM岩波平和ミュージアム (立命館大学(りつめいかんだいがく)国際(こくさい)平和ミュージアム監修(かんしゅう) 岩波書店)
林重男氏(はやししげおし) 寄託写真(きたくしゃしん)調査(ちょうさ) (井手三千男(いでみちお) 広島平和記念資料館(きねんしりょうかん)研究報告(けんきゅうほうこく)第2号)

文中の*部分は「爆心地(ばくしんち)ヒロシマに入る」(林重男(はやししげお)(ちょ) 岩波ジュニア新書)からの引用です。