きかくてんをみよう
1954(昭和29)年3月1日、静岡県(しずおかけん)のマグロはえ縄漁船(なわぎょせん)第五福竜丸(だいごふくりゅうまる)」は、アメリカの水爆実験(すいばくじっけん)により被災(ひさい)した。乗組員全員が「死の灰(しのはい)」を浴び、半年後、無線長の久保山愛吉(くぼやまあいきち)さんが()くなった。企画展(きかくてん)では、第五福竜丸(だいごふくりゅうまる)水爆実験(すいばくじっけん)が行われたマーシャル諸島(しょとう)の人々の被害(ひがい)とともに、広島の原子爆弾投下(げんしばくだんとうか)による放射線被害(ほうしゃせんひがい)紹介(しょうかい)する。
 

1アメリカの水爆実験(すいばくじっけん)「ブラボー」爆発(ばくはつ)
水爆実験(すいばくじっけん)との遭遇(そうぐう)
1954(昭和29)年3月1日午前6時45分、マグロ漁船第五福竜丸(ぎょせんだいごふくりゅうまる)の乗組員は、突然(とつぜん)明るくなった西の空に火のかたまりを見ました。この火のかたまりは、アメリカがビキニ環礁(かんしょう)で行った最大の水爆(すいばく)「ブラボー」の実験でした。実験の2、3時間後、放射能(ほうしゃのう)を大量に(ふく)んだ(はい)が船に()りそそぎ、乗組員の体に付着し、鼻や口から体内に()()まれました。この(はい)は「()(はい)」と()ばれ、乗組員はこの(はい)原因(げんいん)頭痛(ずつう)吐き気(はきけ)、目の(いた)み、歯ぐきからの出血、脱毛(だつもう)などの症状(しょうじょう)(うった)えました。乗組員23名全員が急性放射能症(きゅうせいほうしゃのうしょう)になったのです。


2第五福竜丸から採取(さいしゅ)された「()(はい)
●無線長久保山(くぼやま)さんの死
3月14日、第五福竜丸(だいごふくりゅうまる)焼津港(やいづこう)に帰港しました。乗組員、船体、漁具、マグロが強い放射線(ほうしゃせん)汚染(おせん)されていることが分かり、日本中を(おどろ)かせました。乗組員は、3月下旬(げじゅん)に東京の病院に入院し、医師団(いしだん)による治療(ちりょう)が行われました。しかし、懸命(けんめい)治療(ちりょう)にもかかわらず、9月23日、無線長の久保山愛吉(くぼやまあいきち)さん(40)が()くなりました。

3遺骨(いこつ)とともに焼津(やいづ)へ向かう久保山(くぼやま)さんの家族(東京駅)
 



  第三の被爆(ひばく)
第五福竜丸(だいごふくりゅうまる)とヒロシマ

 水爆(すいばく)実験(じっけん)との遭遇(そうぐう)
 ●漁船第五福竜丸
 ●「原爆(げんばく)マグロ」と放射能雨(ほうしゃのうう)
 水爆実験(すいばくじっけん)と日本の科学者
 原水爆反対(げんすいばくはんたい)の声
 ●マーシャル諸島(しょとう)核被害(かくひがい)
 第五福竜丸(だいごふくりゅうまる)保存(ほぞん)展示館(てんじかん)建設(けんせつ)
 第五福竜丸(だいごふくりゅうまる)とヒロシマ
 おわりに
 都立第五福竜丸展示館(とりつだいごふくりゅうまるてんじかん)


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