きかくてんをみよう

漁船第五福竜丸(ぎょせんだいごふくりゅうまる)
第五福竜丸(だいごふくりゅうまる)は、1947(昭和22)年3月、神奈川県三崎港(かながわけんみさきこう)のカツオ漁船第七事代丸(ことしろまる)として建造(けんぞう)されました。その後、マグロ漁船に改造(かいぞう)され、1953(昭和28)年、静岡県(しずおかけん)焼津港(やいづこう)所属(しょぞく)第五福竜丸(だいごふくりゅうまる)と命名されました。
第五福竜丸(だいごふくりゅうまる)としては、5回の航海を行っています。第5次航海は、1954(昭和29)年1月22日から3月14日まで行われ、ミッドウェー海域(かいいき)操業(そうぎょう)していましたが、はえ(なわ)の半分以上を流され失いました。南へと進路を変えマーシャル諸島(しょとう)に近づき、3月1日、ビキニ水爆実験(すいばくじっけん)遭遇(そうぐう)被災(ひさい)しました。


4被爆(ひばく)した第五福竜丸(だいごふくりゅうまる)で使用された漁具・日用品

  第三の被爆(ひばく)
第五福竜丸(だいごふくりゅうまる)とヒロシマ

 水爆(すいばく)実験(じっけん)との遭遇(そうぐう)
 ●漁船第五福竜丸
 ●「原爆(げんばく)マグロ」と放射能雨(ほうしゃのうう)
 水爆実験(すいばくじっけん)と日本の科学者
 原水爆反対(げんすいばくはんたい)の声
 ●マーシャル諸島(しょとう)核被害(かくひがい)
 第五福竜丸(だいごふくりゅうまる)保存(ほぞん)展示館(てんじかん)建設(けんせつ)
 第五福竜丸(だいごふくりゅうまる)とヒロシマ
 おわりに
 都立第五福竜丸展示館(とりつだいごふくりゅうまるてんじかん)


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