■おわりに
18
●
第五福竜丸乗組員
(
だいごふくりゅうまるのりくみいん
)
はビキニの
水爆実験
(
すいばくじっけん
)
により、広島・
長崎
(
ながさき
)
の
被爆者
(
ひばくしゃ
)
に続いて、第三の
被爆者
(
ひばくしゃ
)
として、
核兵器
(
かくへいき
)
の
被害
(
ひがい
)
の
甚大
(
じんだい
)
さと
恐
(
おそ
)
ろしさを自ら
示
(
しめ
)
さなければならない運命を
背負
(
せお
)
わされました。
しかし、この運命はあまりにも
悲惨
(
ひさん
)
すぎました。乗組員自身だけでなく、その家族の生活をも一変させたのです。全国からの
励
(
はげ
)
ましやお
見舞
(
みま
)
いの手紙などの反面、
見舞金
(
みまいきん
)
をもらったことで周囲からねたまれたり、
故郷
(
こきょう
)
を
離
(
はな
)
れて生活することを
余儀
(
よぎ
)
なくされた乗組員もいました。また、
放射線
(
ほうしゃせん
)
による
後遺症
(
こういしょう
)
にも
悩
(
なや
)
まされ続けました。2004(平成16)年末
現在
(
げんざい
)
、12名の乗組員が
亡
(
な
)
くなり、11名が
生存
(
せいぞん
)
していますが、多くが
肝障害
(
かんしょうがい
)
を
患
(
わずら
)
っています。
核兵器
(
かくへいき
)
は、
私
(
わたし
)
たちの一番大切なものを
奪
(
うば
)
う
恐
(
おそ
)
ろしい
凶器
(
きょうき
)
であることを身をもって
経験
(
けいけん
)
した広島・
長崎
(
ながさき
)
、
第五福竜丸
(
だいごふくりゅうまる
)
の
被爆者
(
ひばくしゃ
)
は、だれよりも
核兵器廃絶
(
かくへいきはいぜつ
)
と平和な世界を願い、
訴
(
うった
)
え続けています。
私
(
わたし
)
たちはこの願いの
実現
(
じつげん
)
のため一人ひとりにできることを考えていかなければなりません。
図版一覧
(
ずはんいちらん
)
(
敬称略
(
けいしょうりゃく
)
)
表紙・18
●
提供
(
ていきょう
)
/
財団法人第五福竜丸平和協会
(
ざいだんほうじんだいごふくりゅうまるへいわきょうかい
)
1
●
所蔵
(
しょぞう
)
/アメリカ・ワシントン国立公文書館
提供
(
ていきょう
)
/
財団法人第五福竜丸平和協会
(
ざいだんほうじんだいごふくりゅうまるへいわきょうかい
)
2
●
~13
●
提供
(
ていきょう
)
/
財団法人第五福竜丸平和協会
(
ざいだんほうじんだいごふくりゅうまるへいわきょうかい
)
14
●
寄贈
(
きぞう
)
/
八島
(
やじま
)
秋次郎
(
あきじろう
)
15
●
寄贈
(
きぞう
)
/
若本徳三
(
わかもととくそう
)
16
●
提供
(
ていきょう
)
/中国新聞社
17
●
寄託
(
きたく
)
/
原爆資料保存会
(
げんばくしりょうほぞんかい
)
第三の
被爆
(
ひばく
)
・
第五福竜丸
(
だいごふくりゅうまる
)
とヒロシマ
●
水爆
(
すいばく
)
実験
(
じっけん
)
との
遭遇
(
そうぐう
)
●漁船第五福竜丸
●「
原爆
(
げんばく
)
マグロ」と
放射能雨
(
ほうしゃのうう
)
●
水爆実験
(
すいばくじっけん
)
と日本の科学者
●
原水爆反対
(
げんすいばくはんたい
)
の声
●マーシャル
諸島
(
しょとう
)
の
核被害
(
かくひがい
)
●
第五福竜丸
(
だいごふくりゅうまる
)
の
保存
(
ほぞん
)
と
展示館
(
てんじかん
)
の
建設
(
けんせつ
)
●
第五福竜丸
(
だいごふくりゅうまる
)
とヒロシマ
おわりに
●
都立第五福竜丸展示館
(
とりつだいごふくりゅうまるてんじかん
)
▲TOPにもどる