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29
堀弘明さん
(当時13歳) |
30
半ズボン
爆心地から約1,200m
雑魚場町(現在の国泰寺町) |
県立広島第一中学校1年生の堀弘明さんは、建物疎開作業中に被爆し、似島に運ばれました。父親の輝人さんは、「一中の生徒はいませんか」とたずね回り、やけどで変わり果てた姿の弘明さんを、この半ズボンの名前で確認しました。弘明さんは、10日夜に亡くなりました。
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31
柳生高江さん
(当時13歳) |
32
モンペの一部
爆心地から1,200m
雑魚場町(現在の国泰寺町) |
広島女子高等師範学校附属山中高等女学校2年生の柳生高江さんは、建物疎開作業中に被爆し、12日に母親の尚子さんが似島で見つけました。顔は大きく膨れ、焼けた衣服の切れ端がかろうじて体についている状態で、14日朝に亡くなりました。高江さんの皮膚に張り付いていたこのモンペを切り取って形見にしました。
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33
興津正和さん
(当時12歳) |
34 学徒隊章
爆心地から600m
中島新町(現在の中島町) |
県立広島第二中学校1年生の興津正和さんは、建物疎開作業中に被爆しました。一カ月後、似島で火葬された正和さんの遺骨と遺品が家族の元に届きました。「行ってまいります」と手を上げて元気に出かけた姿が、家族が正和さんを見た最後になりました。
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35
山根了さん
(当時13歳) |
36 スボン
爆心地から500m
材木町(現在の中島町) |
市立造船工業学校1年生の山根了さんは、建物疎開作業中に被爆し、全身にやけどを負いました。似島に運ばれ、兄の亨さんが懸命に看病しましたが、7日午前6時に亡くなりました。亨さんが持ち帰ったこのズボンが遺骨代わりとなりました。
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37
大西蜜禅さん
(当時42歳) |
38 学童疎開中の
息子さんに宛てた手紙 |
比治山方面に行く途中に被爆、所持品と遺骨が似島から送られてくる。
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39
小川節子さん
(当時21歳) |
40 モンペの上着
爆心地から約790m 基町 |
勤務先の中国軍管区司令部の外で被爆、似島に収容され、11日に死亡。
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41
鍋島重雄さん
(当時37歳) |
42 懐中時計
爆心地から約1,100m
水主町(現在の加古町) |
特設警備隊の隊長として、建物疎開作業中に被爆し、似島に収容され、死亡。
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43
長岡昇さん
(当時37歳) |
44 罹災証明書 |
大手町八丁目付近で被爆し、似島に収容され、20日に死亡。
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