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船で似島に搬送される負傷者と死者
1945(昭和20)年8月6日/似島検疫所
「宇品より負傷者が発動機船や伝馬船で運ばれて来ました。ロープに身体をしばりつけて水面下をえい航されて来た死者もありました。真っ白になった顔が海水に洗われている姿をいつも思い出します。」 |
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臨時救護所となった似島説教場
似島町字家下
「昭和16年広島市防空計画」では、似島説教場が地区の臨時救護所に指定され、300人の収容を予定していました。ここにも負傷者が収容され、婦人会を中心とする島民が救護活動を行いましたが、十分な治療ができないため、負傷者は、随時検疫所に搬送されました。 |