こどもたちの見た戦争

はだしのゲンとともに

 中沢啓治(なかざわけいじ)氏は、1939年(昭和14年)広島市に生まれ、小学校1年生の時に原爆(げんばく)()います。中学校を卒業後、看板業(かんばんぎょう)()(かたわ)漫画(まんが)を勉強し、1961年(昭和36年)上京、漫画家(まんがか)としてスタートします。1968年(昭和43年)、初めて原爆(げんばく)をテーマにした「黒い雨にうたれて」を発表、その後、次々と原爆(げんばく)や戦争をテーマにした作品を発表します。
 「週刊(しゅうかん)少年ジャンプ」に連載(れんさい)された「はだしのゲン」は、子どもたちの支持(しじ)を大きく集め、戦争と原爆(げんばく)実態(じったい)を広く世の中に知らしめました。

中沢啓治(なかざわけいじ)氏 プロフィール

1939年(昭和14年) 
広島市舟入(ふないり)本町に生まれる
1945年(昭和20年) 
爆心地(ばくしんち)から1.2キロの舟入(ふないり)仲町(なかまち)現在(げんざい)舟入(ふないり)中町)で被爆(ひばく)する
1954年(昭和29年) 
広島市立江波(えば)中学校卒業
看板業(かんばんぎょう)()くかたわら漫画(まんが)を勉強する
1961年(昭和36年) 
上京(じょうきょう)、作家生活に入る
1963年(昭和38年) 
少年画報(がほう)漫画(まんが)「スパーク1」を発表し、漫画家(まんがか)デビュー
1968年(昭和43年) 
初めて原爆(げんばく)をテーマにした漫画(まんが)「黒い雨にうたれて」を発表
1973年(昭和48年) 
漫画(まんが)「はだしのゲン」発表
週刊(しゅうかん)少年ジャンプ」に連載(れんさい)開始(かいし)
1975年(昭和50年) 
「はだしのゲン」で日本ジャーナリスト会議奨励賞(しょうれいしょう)受賞(じゅしょう)
1977年(昭和52年) 
チェコ、カルロビバリ映画祭(えいがさい)原作賞(げんさくしょう)受賞(じゅしょう)
1982年(昭和57年) 
イタリア、ゴールデンバルーン賞受賞(じゅしょう)
1983年(昭和58年) 
アニメーション映画(えいが)「はだしのゲン」完成
毎日映画(えいが)コンクール大藤賞(おおふじしょう)受賞(じゅしょう)
1984年(昭和59年) 
アニメーション映画(えいが)「黒い雨にうたれて」完成
1987年(昭和62年) 
アニメーション映画(えいが)「はだしのゲン2」完成
アメリカ、ダラス市名誉(しめいよ)市民(しみん)称号(しょうごう)授与(じゅよ)される
1996年(平成 8年) 
広島ホームテレビ文化・スポーツ賞受賞(じゅしょう)
2002年(平成14年) 
第14回谷本清平和賞受賞(じゅしょう)
2007年(平成19年) 
広島市民賞受賞(じゅしょう)

代表作 「はだしのゲン」、「黒い雨にうたれて」、「はだしのゲン自伝」、「はだしのゲンへの手紙」など多数

中沢啓治(なかざわけいじ)氏の代表作
海外へ

 はだしのゲンは、英語、ロシア語、韓国(かんこく)朝鮮語(ちょうせんご)、フランス語など、世界のさまざまな言語に翻訳(ほんやく)され、世界を()(めぐ)っています。

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「絵本はだしのゲン」原画より 寄贈/中沢啓治氏

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