|
爆心地付近
昭和20(1945)年
細工町(現在の大手町一丁目)
原爆ドームの東、住宅や商店が軒を連ねていた一帯は、爆風と火災により廃虚と化した。
猿楽町の子どもたち
昭和25(1950)年
猿楽町(現在の大手町一丁目)
原爆により壊滅した猿楽町にも、家が建ち、路地で遊ぶ子どもの姿が戻ってきた。
|
|
川で洗濯
昭和23(1948)年
本川町
洗い桶を抱えた女性が元安川右岸を歩いて行く。当時は川で洗濯するのも珍しい光景ではなかった。
川沿いのバラック
昭和29(1954)年
中島町
平和記念公園の完成が間近になっても、ドーム対岸には、バラックが残っていた。
|