きかくてんをみよう
おわりに
被爆(ひばく)から60年を経た今も、
平和記念資料館(しりょうかん)寄贈(きぞう)される被爆(ひばく)資料(しりょう)は後を()たない。
 しかし、
遺品(いひん)を大切にしていた親が()くなったので…」
「私に何かあれば、遺品(いひん)の持ち主を知る人がいなくなってしまうので…」
という寄贈者(きぞうしゃ)の言葉には、深刻(しんこく)遺族(いぞく)高齢化(こうれいか)を見ることができる。
原子(げんし)爆弾(ばくだん)投下(とうか)は過去の出来事ではない。
まさに今、同じ悲劇(ひげき)が世界のどこかで()(かえ)されようとしている。
あの日の記憶を持つ人々が失われつつある中、
再び核兵器(かくへいき)を人類の頭上に使用させないために…。
これからも、平和記念資料館(しりょうかん)は広島市民とともに、歩み続ける。
図版一覧(敬称略)
<表紙>提供・中国新聞社
1、4、16提供/長岡成一氏 2、7、12、17、18、20、23、24、26、28、35、36、37、39、40、41、42、43、44、45、46、52、54、55、56、61、65、66、67、69、72、73、81提供/中国新聞社 3発行/広島原爆資料集成後援会 5、64所蔵/広島市公文書館 6所蔵/瀬良茂氏 提供/広島市公文書館 8提供/広島市 9提供/丹下都市建築設計 10、11、34、53、60撮影/佐々木雄一郎氏 提供/佐々木喜代美氏 13撮影/土門拳氏 提供/財団法人土門拳記念館 14提供/荒田誠之助氏 15提供/朝日新聞社 19、21、22、27、30、31、32、33、38、80所蔵/広島平和記念資料館 25提供/高橋昭博氏 29撮影/井手三千男氏 47、48、49、50、51作成/広島平和記念資料館 57撮影・提供/井手三千男氏 58収集/広島市 59提供/広島女学院歴史資料館 62寄贈/黒瀬真一郎氏 63寄贈/楮山国人・キミ子氏 68提供/河村政男氏・山賀庸生氏・木村太矩次氏・藤田育子氏・松田利江氏・広島大学原爆放射能医学研究所・NHK広島放送局 70企画・製作/子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会 71撮影/松重美人氏 所蔵/中国新聞社  74寄贈/栗原貞子氏 75発行/能楽書林 76発行/岩波書店 77発行/鱒書房 78提供/広島テレビ放送株式会社 79寄贈/広島テレビ放送株式会社 82作成/「被爆体験証言者交流の集い団体一覧表」より 83撮影・提供/関邦久氏

  廃虚(はいきょ)の中に立ち上がる
平和記念資料館(しりょうかん)とヒロシマの歩み

 ●1945~1954 焼け野原でがれきを集める-平和記念資料館(しりょうかん)前史(ぜんし)
 ●1955~1974 廃虚(はいきょ)に建ち上がった建物
 ●1975~1990 被爆体験(ひばくたいけん)を伝える拠点(きょてん)
 ●1991~ ヒロシマの心を世界に
 ●世界のまなざし ヒロシマを(おとず)れた人々
 ●データで見る資料館(しりょうかん)
 ●ヒロシマの60年
 保存(ほぞん)復元(ふくげん)ー残すー
 記憶(きおく)継承(けいしょう)-伝える-

 おわりに

 ▲TOPにもどる