きかくてんをみよう
データで見る資料館(しりょうかん)
47 入館者数のうつりかわり
開館初年度の入館者は115,369人。以後、入館者は(おおむ)()(つづ)け、1971(昭和46)年度には、年間入館者数が初めて100万人を()えた。1991(平成3)年度は、開館以来最高の1,593,280人を記録。その後、減少(げんしょう)傾向(けいこう)にある。
48 収蔵(しゅうぞう)資料(しりょう)
現在(げんざい)資料館(しりょうかん)収蔵(しゅうぞう)する資料(しりょう)は、19,286点。2004(平成16)年度には、1年間で137(けん)826点の寄贈(きぞう)を受けた。
49 被爆体験証言(ひばくたいけんしょうげん)
1983(昭和58)年からは、被爆(ひばく)体験(たいけん)証言者(しょうげんしゃ)8人を登録し、修学(しゅうがく)旅行生(りょこうせい)などを対象に本格的(ほんかくてき)証言(しょうげん)活動(かつどう)を始めた。入館者数が減少(げんしょう)する中、証言(しょうげん)()く学校は()えている。
50 資料(しりょう)()()
1970(昭和45)年に映画(えいが)()()しを始めて以来、資料(しりょう)()()しを行っている。現在(げんざい)はビデオやポスターも加わり、種類も豊富(ほうふ)になった。
51 ホームページ
インターネットによる発信は、1995(平成7)年度に始まった。広島市のホームページに原爆(げんばく)被害(ひがい)概要(がいよう)などを掲載(けいさい)した後、「ヒロシマ・ピース・サイト」、「平和データベース」、「キッズ平和ステーション」、「バーチャル・ミュージアム」を順次開設(かいせつ)内容(ないよう)充実(じゅうじつ)してきた。

  廃虚(はいきょ)の中に立ち上がる
平和記念資料館(しりょうかん)とヒロシマの歩み

 ●1945~1954 焼け野原でがれきを集める-平和記念資料館(しりょうかん)前史(ぜんし)
 ●1955~1974 廃虚(はいきょ)に建ち上がった建物<
 ●1975~1990 被爆体験(ひばくたいけん)を伝える拠点(きょてん)
 ●1991~ ヒロシマの心を世界に
 ●世界のまなざし ヒロシマを(おとず)れた人々
 ●データで見る資料館(しりょうかん)
 ●ヒロシマの60年
 保存(ほぞん)復元(ふくげん)ー残すー
 記憶(きおく)継承(けいしょう)-伝える-

 おわりに

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