きかくてんをみよう

被害(ひがい)をひろげた建物(たてもの)疎開(そかい)
建物(たてもの)疎開(そかい)とは、空襲(くうしゅう)により火災(かさい)が周辺に広がるのを(ふせ)ぐために、あらかじめ建物を取り壊(とりこわ)して、防火(ぼうか)地帯(ちたい)を作ること。8月6日、現在(げんざい)の平和大通り一帯では、南北を分断(ぶんだん)する防火地帯(ぼうかちたい)を作るための大規模(だいきぼ)建物(たてもの)疎開(そかい)作業(さぎょう)に、国民学校高等科や中等学校1・2年生を中心とする多くの生徒たちが出ていました。この作業は市街の屋外で行われたため、多くの犠牲者(ぎせいしゃ)を生むことになります。広島の動員(どういん)学徒(がくと)原爆(げんばく)死亡者(しぼうしゃ)約7,200人のうち、82%が建物(たてもの)疎開(そかい)作業(さぎょう)従事(じゅうじ)していました。

17●空襲(くうしゅう)(そな)えて消火訓練をする人々
1940(昭和15)年ごろ
1937(昭和12)年に防空法(ぼうくうほう)が定められ、空襲(くうしゅう)(そな)えるため、地域(ちいき)・工場・官庁(かんちょう)ごとに作られた防空組織(ぼうくうそしき)で、待避訓練(たいひくんれん)やバケツリレーなどの消火訓練が行われるようになりました。建物(たてもの)疎開(そかい)もこのような空襲(くうしゅう)(そな)える準備(じゅんび)のひとつとして行われました。

18●広島市の建物(たてもの)疎開(そかい)実施(じっし)状況(じょうきょう)
広島市では1944(昭和19)年11月に出された告示(こくじ)により、建物(たてもの)疎開(そかい)が始まりました。1944(昭和19)年末~1945(昭和20)年8月にかけて、6次にわたる建物(たてもの)疎開(そかい)が行われました。第6次建物(たてもの)疎開(そかい)では地区(ちく)特設(とくせつ)警備隊(けいびたい)地域(ちいき)職域(しょくいき)国民(こくみん)義勇隊(ぎゆうたい)学校(がっこう)報国隊(ほうこくたい)大規模(だいきぼ)に動員され作業にあたり、この最中に原子(げんし)爆弾(ばくだん)が投下されました。



19●建物(たてもの)疎開(そかい)混乱(こんらん)(しめ)す新聞記事

11945(昭和20)年4月4日 中国新聞
強制的(きょうせいてき)に行われた建物(たてもの)疎開(そかい)も、なかなか順調に進みません。対象(たいしょう)地域(ちいき)の住民にとって、建物(たてもの)疎開(そかい)住み慣(すみな)れた家を失うということでした。また、いくつもの家を同時に立ち退(たちの)かせるため、引越(ひっこ)し荷物を運ぶ車や作業の人手が不足するなどの混乱(こんらん)をまねきました。
 
6月3日
今日はかわら、木などを運んだり土地を平らにしたり(いた)しました。
人にしゃべるをかしてもらって、もっこに(すな)を入れてあげていると、土の下から大きな煉瓦(れんが)が出てきましたので、西尾(にしお)さん山田さんたちと一緒(いっしょ)に、力を合わせて煉瓦(れんが)をほりのけました。

21●建物疎開作業(たてものそかいさぎょう)のようす
1945(昭和20)年ごろ
竹屋町(富士見町(ふじみちょう))付近
障子(しょうじ)(かわら)をはずしたあと、兵隊や義勇隊(ぎゆうたい)が1階の柱の根元をノコギリで切断(せつだん)し、屋根の下の(はり)にロープをかけて建物を引き(たお)します。

20●県立広島第一高等女学校1年生の大下(おおした)靖子(のぶこ)さんの日記


 
22●家が取り(こわ)された現場(げんば)で後(かた)づけをする生徒たち
引き(たお)された建物の後(かた)づけをするのが、動員された生徒たちの仕事でした。

23●1945(昭和20)年4月の建物(たてもの)疎開(そかい)状況(じょうきょう)
1945(昭和20)年4月13日
1945(昭和20)年4月の広島市の空撮(くうさつ)。デルタの中央を東西に(つらぬ)く一帯がほぼ現在(げんざい)の平和大通り(百メートル道路)にあたり、大規模(だいきぼ)防火帯(ぼうかたい)を作る作業が進められていましたが、7月に(くら)べまだ防火帯(ぼうかたい)の中に民家が残っていることがわかります。
24●1945(昭和20)年8月6日の建物(たてもの)疎開(そかい)の作業場所
1945(昭和20)年7月25日
1945(昭和20)年7月の広島市の空撮(くうさつ)に、8月6日当日に建物(たてもの)疎開(そかい)作業(さぎょう)を行っていた場所を(しめ)しています。はっきりと防火帯(ぼうかたい)が形成されてきた現在(げんざい)の平和大通り付近では、国民学校高等科や中等学校1・2年生を中心とする40校が出動し、作業にあたっていました。
 


  動員(どういん)学徒(がくと)
-失われた子どもたちの明日-

 ●はじめに
 ●戦時色をおびる学校
 学徒(がくと)動員(どういん)がはじまった
 ●被害(ひがい)をひろげた建物(たてもの)疎開(そかい)
 動員(どういん)学徒(がくと)被害(ひがい)
 ●子どもを(さが)して
 ●焼け野原からの再開(さいかい)
 ●ご協力いただいた方々

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