きかくてんをみよう

学徒(がくと)動員(どういん)がはじまった
1938(昭和13)年、文部省の通達により、夏休み中に数日間の勤労作業(きんろうさぎょう)が始まりました。以後、1941(昭和16)年には、軍隊をモデルにした「学校(がっこう)報国隊(ほうこくたい)」が作られ、学徒を組織的(そしきてき)に動員できるようになります。1944(昭和19)年、「決戦(けっせん)非常(ひじょう)措置(そち)要綱(ようこう)(もと)づく学徒(がくと)動員(どういん)実施(じっし)要綱(ようこう)」により、年間を通した動員が行われることとなり、全国の学徒は続々と軍需(ぐんじゅ)工場(こうじょう)へと動員されていきました。


6●動員に出発する三次高等女学校の生徒たち
1944年(昭和19)年6月30日
備後(びんご)十日市駅(三次駅)
 
7●工場になった学校
工場に動員されるだけでなく、学校そのものが工場として使われることもありました。学校の校舎(こうしゃ)設備(せつび)を工場に転用するのです。設備(せつび)のある工業学校では教室がそのまま軍需工場(ぐんじゅこうじょう)となり、女学校のミシンも軍服を()う作業に使われました。

8●広島陸軍兵器補給廠(ほきゅうしょう)に動員された学徒たち
1943(昭和18)年ごろ

 
   
●市立第一高等女学校の学徒(がくと)勤労(きんろう)日誌(にっし)
右/西部被服工場(せいぶひふくこうじょう) 1944(昭和19)年6月~10月
左/日本製鋼所(にほんせいこうしょ) 1944(昭和19)年6月~1945(昭和20)年4月
学徒(がくと)動員(どういん)状況(じょうきょう)を学校へ報告(ほうこく)するために引率(いんそつ)教師(きょうし)が記録した日誌(にっし)日本(にほん)製鋼(せいこう)(しょ)では小銃弾(しょうじゅうだん)製造(せいぞう)西部(せいぶ)被服(ひふく)工場(こうじょう)では軍服の縫製(ほうせい)を行っていました。連日の作業の簡単(かんたん)な記録に加え、時折記される状況(じょうきょう)から、女生徒たちが真剣(しんけん)に作業に取り組む姿(すがた)がわかります。
  10●千田国民学校の学徒(がくと)勤労(きんろう)動員(どういん)に関する公文綴(こうぶんつづり)
1944(昭和19)年度の学徒(がくと)動員(どういん)に関する県からの通知を集めたつづり。1944(昭和19)年7月の「学徒勤労(がくときんろう)徹底強化(てっていきょうか)に関する(けん)」により、動員の対象が国民学校高等科・中等学校低学年へと広がり、残業や交替制(こうたいせい)の深夜勤務(きんむ)が出動まもない学徒や中等学校3年生以上の生徒にも(みと)められるようになりました。
  11●安田高等女学校の出動(しゅつどう)学徒(がくと)報償金(ほうしょうきん)関係(かんけい)(つづり)
賃金(ちんぎん)などの労働(ろうどう)条件(じょうけん)は、学校からも工場からも本人に説明はありませんでしたが、国の規定(きてい)により中等学校では1月あたり25円の賃金(ちんぎん)支払(しはら)われました。学徒(がくと)動員(どういん)賃金(ちんぎん)は工場などから一括(いっかつ)して学校に支払(しはら)われ、授業料(じゅぎょうりょう)などを引いた上で学校から生徒に支払(しはら)われました。


12●旋盤(せんばん)を使って作業をする広島女子商業学校の生徒
1945(昭和20)年
東洋工業株式会社(かぶしきがいしゃ) 学徒たちはわずかな研修(けんしゅう)を受けただけで、()れない機械を(あつか)わなければなりませんでした。大けがをしたり、過酷(かこく)な労働から体調を(くず)す学徒が出てきました。
 
13●神風はちまき
飛行機工場に動員されていた学徒が作業に従事(じゅうじ)していた時にしめたはちまき。


14●動員(どういん)学徒(がくと)の名札と腕章(わんしょう)

山中高等女学校の生徒が使用した名札・腕章(わんしょう)と校章。学徒(がくと)動員(どういん)時には規定(きてい)の名札と腕章(わんしょう)をつけることが義務(ぎむ)づけられていました。

 
15●女生徒の病気とけが
1944(昭和19)年7月1日~9月30日までの広島高等家政女学校(かせいじょがっこう)および安田高等女学校の動員(どういん)学徒(がくと)の病気とけがの状況(じょうきょう)です。総動員数249名(そうどういんすう249めい)に対し、3ヵ月の間に病気とけがをした()べ人数は303人。動員が健康に悪影響(あくえいきょう)(あた)えていることがうかがえます。
  16●安田高等女学校の工場での卒業式
1945(昭和20)年3月 興亜密針針製作所(こうあみっしんはりせいさくしょ)
戦火の中、各学校や動員先で卒業式が行われました。卒業後も、進学や病気などの特別な事情(じじょう)がない(かぎ)り、引き続いて動員を行うために(もう)けられた専攻科(せんこうか)付設科(ふせつか)に進学し、働き続けました。


  動員(どういん)学徒(がくと)
-失われた子どもたちの明日-

 ●はじめに
 ●戦時色をおびる学校
 ●学徒(がくと)動員(どういん)がはじまった
 被害(ひがい)をひろげた建物(たてもの)疎開(そかい)
 動員(どういん)学徒(がくと)被害(ひがい)
 ●子どもを(さが)して
 ●焼け野原からの再開(さいかい)
 ●ご協力いただいた方々

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