きかくてんをみよう
1945年8月6日
原子爆弾(ばくだん)のさく(れつ)瞬間(しゅんかん)
強烈
(きょうれつ)
放射(ほうしゃ)線と熱線が四方に放射(ほうしゃ)され、
また、強大な爆風(ばくふう)が発生しました。

多くの人々が熱線を受けて重い火傷(やけど)を負い、
また、爆風(ばくふう)()き飛ばされ、建物に()しつぶされました。

まもなく、各所で火の手があがり、市街地は終日天をも()がす(いきお)いで()え続けました。
建物の下敷(したじ)きになり、()け出すことができないまま焼かれた人も数知れません。

また、放射(ほうしゃ)線は人々の細胞(さいぼう)破壊(はかい)し、
発熱・()き気・下痢(げり)脱毛(だつもう)・出血などの
さまざまな症状(しょうじょう)を引き起こしました。

被爆(ひばく)直後の状況(じょうきょう)
郊外(こうがい)(のが)れる途中(とちゅう)に見た焦土(しょうど)の広島は、
人々の記憶(きおく)鮮明(せんめい)に残っています。

野村英三さん
爆心地(ばくしんち)から約170mで被爆(ひばく)

野村英三さん(当時47(さい))は、中島本町(現在(げんざい)の中島町)にあった燃料(ねんりょう)会館(現在(げんざい)の平和記念公園レストハウス)の地下室で被爆(ひばく)しました。猛烈(もうれつ)な火と(けむり)の中をくぐり()け、かろうじて己斐(こい)方面に(のが)れることができました。その後、高熱・下痢(げり)歯茎(はぐき)からの出血などの放射(ほうしゃ)線の急性(きゅうせい)症状(しょうじょう)で死線をさまよいました。
橋上で倒れている丸裸の男
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橋上で(たお)れている丸裸(まるはだか)の男
1945(昭和20)年8月6日 午前8時25分(ごろ)
爆心地(ばくしんち)から約130m 元安橋

「外は真っ黒い(けむり)で暗い。半月くらいの明るさだ。急いで元安橋のところへ来た。ふと橋の上を見ると、中央手前のあたりに、丸裸(まるはだか)の男が仰向(あおむ)けに(たお)れて、両手両足を空に()ばして(ふる)えている。そして、左わき下のところに何かまるいものが()えている。」
竜巻に吹い上げられる川の水 16
竜巻(たつまき)()い上げられる川の水
1945(昭和20)年8月6日 午前10時(ごろ)
爆心地(ばくしんち)から約130m 元安橋付近

「元安川の水の一部が()り上がった、と思ったらクルクルクルと円柱となって空高く()(のぼ)った。水の竜巻(たつまき)だ!その中から風下に水が落ちている。火勢(かせい)熾烈(しれつ)だ。川向いの(けむり)が火の粉とともにわれわれに(おそ)いかかった。」
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爆心地(ばくしんち)付近の惨状(さんじょう)
1945(昭和20)年
爆心地(ばくしんち)から約500m 材木町(現在(げんざい)の中島町)

中央の広島県産業奨励(しょうれい)館(現在(げんざい)原爆(げんばく)ドーム)の右手前に見えるのが、野村英三さんが被爆(ひばく)した燃料(ねんりょう)会館です。平和記念公園は、被爆(ひばく)前は商店や民家が立ち(なら)ぶ市内有数の繁華街(はんかがい)でした。
爆心地付近の惨状
「原爆体験記」 原稿 18
原爆(げんばく)体験記」とその原稿(げんこう)

広島市は1947(昭和22)年、体験記を募集(ぼしゅう)し、市民から164(へん)応募(おうぼ)がありました。18(ぺん)が、1950(昭和25)年に「原爆(げんばく)体験記」として冊子(さっし)にまとめられました。野村英三さんの手記「爆心にあびる」は、この冊子(さっし)冒頭(ぼうとう)収録(しゅうろく)されています。

土井貞子さん
爆心地(ばくしんち)から約710mで被爆(ひばく)

土井貞子さん(当時21(さい))は、(えびす)町の福屋新館2階で被爆(ひばく)しました。頭部に重傷(じゅうしょう)を負いましたが、同僚(どうりょう)と助けあって、川を泳いで(わた)り、火災(かさい)の中を避難(ひなん)しました。夜、山の上から見た広島の空は真っ赤でした。家族と再会(さいかい)した喜びもつかのま、9月初めに両親と妹を原爆症(げんばくしょう)でなくしました。
炎に追われて川を渡る
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(ほのお)に追われて川を渡る
1945(昭和20)年8月6日
爆心地(ばくしんち)から約1,400m 上流川町(現在(げんざい)の上(のぼり)町)

「水面は一面に油のようなものがギラギラしている。その中に焼けた体をつけている人、流されている人、木片(もくへん)や何かが無数に流れてくる。だいじょうぶ、泳げるだろうと、(くつ)()ぎ、ひもで(はな)れぬようにくくった。」
焼け跡に立つ福屋 20
焼け(あと)に立つ福屋
1945(昭和20)年/爆心地(ばくしんち)から約710m (えびす)
被害(ひがい)は市の全域(ぜんいき)(およ)び、建物の90%が焼失または破壊(はかい)されました。建物の下敷(したじ)きになり、生きながら焼かれ()くなった人も数知れません。

松室一雄さん
爆心地(ばくしんち)から約1,050mで被爆(ひばく)

松室一雄さん(当時32(さい))は薬研堀(やげんほり)町の自宅(じたく)被爆(ひばく)しました。骨折(こっせつ)した(こし)(いた)みに()え、(つえ)にすがりながら避難(ひなん)しました。()える家の下敷(したじ)きになって助けを求める人を見ながらどうすることもできませんでした。近所に住んでいた両親は、焼け(あと)から遺骨(いこつ)で見つかりました。

松室さんが被爆時に着ていた浴衣
全壊した自宅から抜け出す
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全壊(ぜんかい)した自宅(じたく)から()け出す
1945(昭和20)年8月6日 午前8時50分(ごろ)
爆心地(ばくしんち)から約1,050m 薬研堀(やげんほり)

(けむり)はがれきのすきまからどんどん(わたし)をとり()き、苦しくなる。けがを承知(しょうち)で力いっぱいずり上がった。うす暗がりから屋外へ一気に()い出した。たった今(わたし)がいた空間は、たちどころに(かわら)や石が(くず)れ落ちて、(あと)形もなく(ふさ)がってしまった。」

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松室さんが被爆(ひばく)時に着ていた浴衣
爆心地(ばくしんち)から約1,050m 薬研堀(やげんほり)
焼け野原となった市街
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焼け野原となった市街
1945(昭和20)年8月7日/爆心地(ばくしんち)から約710m (えびす)
福屋新館屋上から見た東南方面です。爆心地(ばくしんち)から約2km以内では、建物のほとんどが全壊(ぜんかい)または全焼しました。松室さんやその両親が住んでいた薬研堀(やげんほり)も全焼し、()え残りの火がくすぶり、あちこちに(けむり)が立ち込めていました。

廣中トラコさん
爆心地(ばくしんち)から約1,300mで被爆(ひばく)

廣中トラコさん(当時31(さい))は、天満町の路上で被爆(ひばく)しました。佐伯(さえき)郡大竹町(現在(げんざい)の大竹市)の義勇(ぎゆう)隊員として、建物疎開(そかい)作業現場(げんば)に向かう途中(とちゅう)のことでした。熱線で上半身に大火傷(やけど)を負い、()たきりの生活が半年近く続きました。火傷(やけど)はケロイドとなって残りました。
黒い雨の中、焼けただれ苦しむ人々
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黒い雨の中、焼けただれ苦しむ人々
1945(昭和20)年8月6日/爆心地(ばくしんち)から約1,300m 天満町
「家や電柱、樹木(じゅもく)がいたるところで()え始め、全身焼けただれた人が『水をください』と懇願(こんがん)しています。『アメリカのばか』と言って泣きながら死んでいくたくさんの子どもは本当に(あわ)れでした。大人も大勢(おおぜい)死んでいます。馬や(ねこ)、犬なども死んでいました。」
寝たきりの廣中さんとそれを見守る娘 25
()たきりの廣中(ひろなか)さんとそれを見守る(むすめ)
1945(昭和20)年8月15日
佐伯(さえき)郡大竹町(現在(げんざい)の大竹市)

「薬はなく、火傷(やけど)にキュウリやジャガイモをすって()る日が続きました。()みがひどく、ウジがわき布団(ふとん)を3(まい)(くさ)らせてしまうほどでした。夜はノミがはい、()やハエが(わたし)を苦しめました。(くさ)った鯨肉(くじらにく)のようなからだを横たえ、動けぬ身の苦しさはとても言い表せません。」

上杉一二さん

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メガネ
爆心地(ばくしんち)から約1,900m 舟入(ふないり)川口町
上杉一二さん(当時52(さい))は、自宅(じたく)から100mの路上で被爆(ひばく)し、顔・手・(むね)から(かた)にかけて大火傷(やけど)を負いました。メガネの上部は帽子(ぼうし)のひさしに(さえぎ)られていましたが、下部の特に黒い部分に熱線の(あと)が残っています。
メガネ

伊藤 悟さん

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体内から出てきたガラス(へん)
爆心地(ばくしんち)から約2,000m 千田町三丁目
県立広島工業学校教諭(きょうゆ)の伊藤悟さん(当時41(さい))は学校内で被爆(ひばく)し、全身にガラス(へん)を浴びました。被爆(ひばく)後33年目の1978(昭和53)年、左(うで)皮膚(ひふ) を()(やぶ)ってガラス(へん)の一部が露出(ろしゅつ)したため、手術(しゅじゅつ)摘出(てきしゅつ)しました。
体内から出てきたガラス片


  ヒロシマの証言(しょうげん) ─(うば)われた街・残されたもの─
 ●なつかしの広島の風景
 原爆(げんばく)投下─上空に立ち上るきのこ雲
 ●1945年8月6日
 救援(きゅうえん)者の見たヒロシマ
 ●家族に残されたもの(1)
 ●家族に残されたもの(2)

 おわりに 御協力いただいた方々・機関(きかん)

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