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6-1-2-4本土空襲の激化

建物疎開で家屋を取り壊す人々
濱田義雄 作

戦局が悪化し1944年(昭和19年)以降、日本本土への空襲が激化すると、防空体制が急速に整備されました。都市部の子どもを郊外へ避難させる学童疎開も始まりました。空襲による火災の延焼を防ぐ防火帯を作るため市街地の建物を取り除く建物疎開が広島でも実施され、多くの中学生たちが動員されました。日本の主要都市が次々と空襲される中、広島市への大規模空襲は行われず、市民は不思議に思うと同時に不安も感じていました。そして広島は1945年(昭和20年)8月6日を迎えたのです。

東館2階 6 広島の歩み