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3-2-1-2眼鏡

爆心地から1,000m 広瀬元町 
佐伯敏子寄贈

佐伯敏子さん(当時25歳)の母親の茂曽路モトさん(当時54歳)は広瀬元町の自宅で被爆し行方不明となりました。疎開させていた長男に会うため郊外にいた敏子さんは、被爆当日から市内に入り肉親を捜し歩きました。1カ月後の9月6日に敏子さんの義兄が焼け跡からモトさんの頭部を風呂敷に包んで持ち帰りました。顔は焼け落ち、後ろにわずかに肉と髪が残るだけの頭部に、モトさんがいつもかけていたこの眼鏡がくっついていました。

頭に大けがを負った敏子さんの兄や、比較的傷が軽かった妹も亡くなり、敏子さんは被爆から70日余りの間に13人の親族を失いました。

戦後、敏子さんは病に苦しみながらも子どもたちを育て、40年以上にわたり平和記念公園にある原爆供養塔の掃除を続けました。また修学旅行生たちに被爆体験を語りました。

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