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第22回 広島平和記念資料館展示検討会議要旨

1 日時
平成29年(2017年)11月7日(火)午前10:00~12:00

 

2 場所
広島国際会議場地下2階大会議室「ダリア」

 

3 出席委員(10名)
今中委員長、大井副委員長、水本副委員長、石丸委員、宇吹委員、大澤委員、神谷委員、静間委員、賴委員、小溝委員

 

4 事務局(13名)
平和記念資料館 志賀館長、加藤副館長、宇多田課長補佐、新田主幹、落葉学芸員、福島学芸員、土肥学芸員、

小山学芸員

平和文化センター総務課 清川参事
市平和推進課 中川被爆体験継承担当課長、村上主幹、柴田主査、重田技師

 

5 丹青社(6名)

 

6 議題等
本館展示について
    
7 公開、非公開の別
公開

 

8 傍聴者
報道機関10社ほか2名

9 会議資料名
第22回広島平和記念資料館展示検討会議次第
広島平和記念資料館東館展示物等整備 検討資料

※会議資料は、広島平和記念資料館学芸課(広島市中区中島町1番2号:広島平和記念資料館東館地下1階)でご覧いただけます。また、会議要旨はホームページでも公開しています。

 

10 会議要旨

 

《開会》

 

【丹青社・事務局】

 本館展示「8月6日のヒロシマ」について、模型および会議資料1~9ページを用いて説明。

 

今中委員長
ただいまの事務局と丹青社の説明についてご質問、ご意見を賜りたい。

 

石丸委員
入り口のところはいろいろ検討されているのでいいと思うが、これで原爆資料館が象徴的にイメージとして残る。例えば長崎と比較し、生き残った人もいるじゃないかといったことがあるとまずいので、これはどういう被爆なのかというデータもきちんとわかるようにするなど、一定の配慮をしてほしい。
面積が限られ、間取りも決まっている厳しい条件の中、いろいろ検討されている努力はよくわかった。

 

今中委員長
最初の写真の場所は日赤なのか。腕にあるのは赤十字マークか。

 

事務局
そうである。

 

石丸委員
被爆場所のデータはあるのか。

 

事務局
広島城の付近である。

 

今中委員長
これまで3ページ右側の松重さんの写真が広島の惨状をあらわす典型的な写真だったので、思い切った展開になる。この事務局案どおりでよいか。

 

静間委員
この方はその後どうなったのか。

 

事務局

やけどで急性障害があったが、その後は回復されている。

 

静間委員
見るほうはどうなったのか気になると思うので、それは書いてあった方がいい。

 

小溝委員
最初のところを実物の写真にしたことはよかった。最初なので象徴的でなければならないと同時に、修学旅行で来ることにも配慮する難しさがある。この写真もいいと思うが、ほかにもないか検討していただきたい。
3ページのBの原爆の絵は、実物写真とあわせて、絵の持っている特性を生かした効果的な使われ方で、非常にいい。最初のピカをあらわすものは絵しかない。じっくり眺められる空間に松重さんの2枚を置いたことも工夫されている。
5ページの②の人への被害と都市への被害を上から見るというところで、特に建物疎開で被害に遭った人たちの遺品を中心に展示するのはいいと思う。東館1階にある三輪車に乗っていた男の子の写真のように、被害を受けたのがどんな人だったのかを示す写真を遺品に添えるのは効果的なので、できれば検討してほしい。
8ページの黒い雨のところで、雲と雨だけよりも、その下で逃げている人たちがいるような絵があるので、被害の実相を示す絵を使う工夫があってもいい。

 

大澤委員
被爆者の記憶に残っている音やにおいはなかなか示せない。音を思わせる絵を入れていただきたい。においは言葉でしかあらわせないだろうが、どこかに書くなどしていただきたい。

 

静間委員
5ページの通路で、①から④の方へ行かれる方がいるのではないか。

 

事務局
ここの動線はいろいろ検討した。普通は①②④と回って見ていただくが、見たくない方や混雑時に先に進みたい方もいらっしゃる。そういうときのかわす道として①から④への通路を設けている。

 

今中委員長
ここはどっちから見てもいいという意味か。

 

事務局
そうである。

 

静間委員
人の写真が随分ふえたが、悲惨過ぎるとか気持ちが悪いという声が出てくるのではないか。

 

事務局
ヨーロッパの博物館ではあまり小さな子供に悲惨なものを見せるのはよくないとして、14歳以上推奨などと区分けするところもある。そういうことも考えなければいけないが、今回は被爆の実相をできるだけ分かっていただくのが趣旨なので、あえてそういうものを出していく方向にしている。
資料館は毎日のようにご意見をいただくが、いろんな感想がある中で、全員に受け入れられる展示は無理である。未来を担う子供たちにはぜひ見ていただきたいので、注意書きを設け、覚悟の上で入っていただく形にする。また、抜け道、救護所も案内できるようにしたい。

 

静間委員
最初から最後まで写真がたくさんあるので、注意書きが必要かと思う。

 

水本委員
総論として覚悟してくださいという表示でなく、ゾーンごとにこういった展示があるという表示のほうがいい。

 

大澤委員
万人に受け入れられるのは難しいという意図はわかるが、配慮はしないといけない。ある幼稚園では資料館を子どもたちに見せるときには、事前に準備をしているということを聞いたことがある。悪夢を見る、ストレスで眠れないといったことはあり得るので、このように対応されたらいいというものを資料館として準備されるとよいのではないか。平和学習でPTSDになる子供も中にはいるので、そういったフォローと啓発は必要。問い合わせがあればきちんと伝えてほしい。

 

小溝委員
今後、ヨーロッパの人たちがこの展示を見たときに、これは児童虐待で犯罪行為だという批判が出てくると思う。ただ、注意しなければいけないのは「傷つく人々」「変わり果てた姿」「救護所の惨状」のところに限られている。そこをちゃんと押さえておけば大丈夫である。そこについてしっかりと注意書きをし、事前に理解させておけば、将来的な批判には対応できると思う。今の段階から備えておいたほうがいい。

 

石丸委員
台湾の故宮博物院はグループごとにイヤホンでガイドする。音声ガイドのシステムもいろいろ進んでいると思うので、画一的でなくグループごとにいいガイドをつけ、イヤホンを全部備えたシステムを検討していただきたい。
過剰表現や誇張をしていないかどうかが評価される。ちょっと違うんじゃないかなどと思われないよう、過剰表現や誇張はしていないことがわかる仕組みをうまく考えていただきたい。

 

今中委員長
入口の写真を日赤に収容した被災者にしたことについては、皆さんおおむねよかろうということだったと受けとめる。松重さんの写真も捨てがたいが、2枚セットで並べるのがいいという事務局の案ももっともである。
本館は実物を見せるのが本質である。児童にとってショッキングな写真や物体もあるが、目を背けず、ありのままを見てもらうための資料という意味もある。見たくない人はどうするか、事前に学校の引率者の意向を聞き、その判断に委ねる方法もある。個別に見たいものと見たくないものと分けるのがいいのかは若干議論の余地があると思う。
音とにおいの問題は大事な要素だと思う。長崎のように微音のBGMを流すなら、「ひろしま平和の歌」のような音楽もある。音とにおいについて感覚的に出せるものがないか、再度考えてみたい。
その他細かい指摘は事務局と丹青社で受けとめて、工夫の余地があるものについては工夫していただき、また次回に提示していただく。

 

【丹青社・事務局】
本館展示「被爆者」について、会議資料10~13ページを用いて説明。

 

今中委員長
ただいまの事務局と丹青社の説明についてご意見、ご質問を賜りたい。

 

石丸委員
照明の色・明るさは段階変化できるのか。

 

丹青社
調光できるもので計画している。照明によって資料が傷むこともあるので、演出的なことだけでなく、資料に配慮した照明を考えていく。

 

石丸委員
観覧者からの不満が出てきたら対応するということなのか。

 

丹青社
調整できるようにしてある。暗い展示室に入ると人の目が慣れるまで時間がかかるため、そこは照度を落とすなど配慮し、うまくバランスをとりながら計画していく。

 

宇吹委員
展示の最後の1枚はどのような議論があったのか。重要な写真だと思う。「生ましめんかな」の写真版とか、説明するのにこうなんだと言えるコンセプトがあればいいのではないか。

 

事務局
最後の写真選びは何回も議論を重ね、たくさんの写真を候補に出し、「消えぬ想い」とは何か、最初に立ち戻って考えた。被爆者の思いは単純ではなく、人それぞれにいろんな思いがある。故人をしのぶ、悲しみに暮れるというだけではないし、子供が生まれたから希望かといえば、被爆した方にとっては不安でもある。そういう複雑な想いを感じていただける写真を選定した。

 

水本委員
最後の7枚の写真はいつのものか。「消えぬ想い」というのが今の瞬間もあるとしたら、今をあらわす写真もあったほうがよいのではないか。

 

事務局
撮影年代は、最初の女性の写真は1960年代、次が1954年、その後が1950年代、男性と女性の写真は1970年代か1980年代、次が1950年代か60年代、最後の母親と子供の写真は1947年で、幅がある。

 

水本委員
戦後をあらわすという意味ではいいと思うが、例えば3世、4世など、どこかで今を感じさせる写真も締めくくりに入れることを検討していただきたい。

 

今中委員長
今の水本委員の意見について何か。

 

事務局
おっしゃることはわかるので、ふさわしい写真があるかどうか、もう少し検討してみたい。複雑な思いというコンセプトの中で、外に出て現在の風景を見る前に、何かそれをつなげるような写真を探してみたい。

 

小溝委員
最後の一枚の選択は難題だが、宇吹委員から出た「生ましめんかな」は典型的な希望をあらわすものとして、それにふさわしい写真があればいいと思う。
また従来、本館最後の一枚だったカンナの写真は、復興と平和への希望を象徴するメッセージとして好評だった。被爆後まもなく咲いた花が人々に希望を与えたことは間違いない事実なので、この写真(キョウチクトウでもいいと思うが)もどこかで使ったらいいと思う。

 

今中委員長
ここだけN家と仮名で出ているが、実名ではいけないのか。

 

事務局
写真を撮影された方のタイトルが「N家の崩壊」なので、展示も同様にした。

 

今中委員長
禎子さんのコーナーが特設されているが、禎子という表示は大きく出さないのか。

 

事務局
コーナーの解説のところに、一人の被爆少女の死、佐々木禎子という形で出す。

 

石丸委員
写真選択の方針として、既に有名な写真家のものはあえて避けているのか。見たことがあると立ちどまるという効果もある。

 

事務局
「消えぬ想い」の3枚目と6枚目は土門拳さん、4枚目と5枚目は森下一徹さん、「N家の崩壊」は福島菊次郎さんで、著名な方の写真を展示する予定である。

 

事務局
カンナ、キョウチクトウという希望を与える写真の件だが、議論する残っているテーマとして、ギャラリーと渡り廊下、そして、本館ができたときに東館を一体的にどう見直すかがある。これについては改めて展示検討会議に微修正をかけたいので、そちらで検討させていただきたい。

 

事務局
最後の部分に関して職員、スタッフに与えたテーマは、広島弁で「ひこずる想い」を何かここで残せないか。その思いを抱きながら東館へ行き、それなりに答えを見つけていただく終わり方ができないか。東館は何らかの答えを見つけ出そうとしているところ、本館はあくまで8月6日がどうであったか、こういう明快な区分をしたかった。

 

宇吹委員
土門拳、森下一徹など著名な方の写真はここに載せるべきでない。ここまで被爆者の作品、直後の報道写真、調査団の写真で展示してきているので、引き継ぐ思いということで市民から募集した写真にそういうものはないのか、検討してほしい。

 

今中委員長
ずっと重い気持ちで本館を回るので、出るときにほっとする写真が1枚あってもいいのではないかと思うが、検討事項としたい。
外国人被爆者をかなりのスペースで取り上げられたことは評価する。朝鮮人、南方特別留学生、白系ロシア人の3人だけでなく、できれば7カ国・地域全ての人について写真とともに説明するよう工夫してほしい。

 

小溝委員
13ページ「消えぬ想い」の写真の中に、ABCCで実験台にされた人が1枚あってもいいのではないか。

 

事務局
外国人被爆者のコーナーは、この3人で決定ではなく、広く取り上げるようこれから調整していく。

 

事務局
「消えぬ想い」のところの写真についていろいろご意見をいただいた。基本のスタンスはこのような写真だが、著名でない市民の写真、ABCCで撮影された被爆者の写真など、少し広げて考えてみたい。

 

大井委員
原爆の絵の扱いがうまくいくのか心配していたが、現物資料と写真と被爆者が描いた現場のイメージ化ということで、効果的な展示になったと思う。
3ページBの閃光の絵画と御幸橋の写真のコーナーは、明るさや照明をコントロールし、壁紙的でない見せ方をきちんとやるという理解でよいか。

 

丹青社
ここは照明が最も重要だと考えている。展示資料としての写真が印象的に浮かび上がるよう、注意して考えていきたい。これから事務局と具体的に詰めていく。導入部分は特に大切に考えて検証していきたい。

 

静間委員
13ページのところで、通り抜ける際、展開図A、Bに比べ、Cはかなり印象が強い。こういった写真を入れるのはわかるが、バランスとしてはどうか。もうちょっと適当な写真があれば、そちらのほうがいい気がする。

 

水本委員
2ページ、3ページの写真は本館展示の新しいアイデンティティーをどう伝えるか。この人は兵士である。原爆は一般市民を傷つけるということを強調してきた。しかし、生物兵器も化学兵器も本来は兵士を傷つけることから禁止された。任務を解かれて非戦闘員になった傷病兵も傷つける。この写真は兵士ではないかという議論が起きるかもしれないので、どういう伝え方をするか整理されておいたほうがよい。
私は、兵士や一般市民に関わらずあらゆる人々を傷つける兵器は非人道的なものと考えている。

 

今中委員長
最後に一言あれば。

 

小溝委員
原爆の被害者の多くが非戦闘員であったことを考えると、それを代表した写真のほうがいいと思う。

 

水本委員
伝え方をうまくすれば兵士の写真でも問題ないと思う。

 

石丸委員
原爆だけでなく、日本全体の悲惨な戦災というようなことにもつながるところがちょっと欲しい。

 

事務局
水本委員は、私たちが選んだ写真が批判された場合の説明を考えてくださったと思う。かなりの数の候補から選んだが、なかなかこれにかわる写真が思い浮かばない。よろしければこれで進めさせていただきたい。

 

事務局
最初から最後までこだわり続けたのは人である。一人一人の人を本館のコンセプトとして議論してきた。場所の関係で少し横長なものを選ぶ必要もあり、この写真は兵士の表情も含め非常に印象的で、人がそこにいると認識できるという意味で選んだ。もしこれにかわるものがあれば検討したいが、できればこれでいきたい。

 

今中委員長
大事な入り口の写真であるから、ある程度の方向づけをしたほうがいい。

 

水本委員
基本的にはこの写真でいいと思う。赤十字の保護下に置かれた人だというのは具体的なメッセージになる。

 

小溝委員
ほかによりいいものがない限りは、これでいいと思う。ちょっと探してみる。

 

今中委員長
松重さんの写真との比較ではなく、今のこれよりもっと違うものという意味か。

 

小溝委員
そうである。被害者を代表する写真としてこれがふさわしいのかという点に若干の疑問を持っている。ただ、他によりいいものがないのであれば、水本委員が説明されたことを踏まえて、これでもいいと思う。

 

今中委員長
相当事務局も探されたと思う。余地はちょっと残して、なければこの写真でということで方向づけしたいと思う。

 

宇吹委員
閃光の絵は、原爆の絵を代表する絵としてはちょっと難しい。原爆の絵というのは実際に見たものが刻まれているが、これはかなり解説的。光でほかに絵はないのか。ないならやむを得ない。

 

大井委員
光や音など、原爆のすごさを我々がシミュレーションして見せることは不可能。この絵は被爆者の描かれたイメージではあるが、イメージとしても残っているものであれば、描かれた経緯も含めてきちんと説明をして、それなりの見せ方をすればいい。

 

事務局
遠くから見た閃光の絵はあるが、まちの中で被爆したときに見た閃光の絵は恐らくこれしか見当たらない。これは誰がどういう状況で見たのか、爆心地からどのあたりかなどがわかるようにして、この絵を使わせていただきたい。また、絵の横に、描かれた方の「思わず頭を下げた瞬間、突然全身が異様な閃光につつまれる」というメモも言葉として展示したい。

 

今中委員長
大体ご意見は出たと思う。大筋はオーケーだと思うが、注文や微修正が出ているので、これは可能な限り対応する。音声ガイドも可能かどうか検討する。その対応の結果は次回の委員会で報告する。

 

事務局

今回の会議要旨は、事務局で作成の上、委員長にご確認いただいた後に委員の皆様に報告する。会議要旨は平和文化センターのホームページ等で公開する。
次回の展示検討会議の日時は改めて調整の上お知らせする。ギャラリーと渡り廊下のデザインが残っているので、今後丹青社と一緒に考え、ご提案したい。今回いただいた幾つかの課題についても検討し、ご報告させていただく。

 

【事務局】  
今後の予定について説明

 

《閉会》