昭和24(1949)年、広島平和記念都市建設法(としけんせつほう)が成立。国有地の無償譲与(むしょうじょうよ)と国庫補助(こっこほじょ)の増率(ぞうりつ)は、広島市の復興(ふっこう)に活路を開き、街路・公園緑地・河岸(かがん)緑地の建設(けんせつ)と、そのための用地確保(ようちかくほ)が本格的(ほんかくてき)に始まった。 刻々(こっこく)と変化する広島の街を記録するため、佐々木(ささき)氏は日々、自転車を駆(か)って撮影(さつえい)に出かけた。
原爆(げんばく)と、その後の台風・豪雨(ごうう)による被害(ひがい)で、流失・落橋し通行不能(つうこうふのう)となった橋は20橋近くに及(およ)んだ。間もなく応急的(おうきゅうてき)復旧工事(ふっきゅうこうじ)が行われたが、架(か)け替(か)えには、多額(たがく)の費用を要した。広島平和記念都市建設法(としけんせつほう)制定後(せいていご)ようやく、本格的(ほんかくてき)な架橋(かきょう)や、都市計画に基(もと)づく幹線道路(かんせんどうろ)の建設(けんせつ)が可能(かのう)となった。